Web連載12月号「文庫はなぜ読まれるのか」青田恵一

●Web連載「新・棚は生きている(12月号)
誰も知らなかった「文庫」の全体像を描く
―岩野裕一 著『文庫はなぜ読まれるのか』(1)
 
青田 恵一

 文庫、といえば誰でもわかっている、いまさらなんだと思われるかもしれない。
  ところが岩野裕一著『文庫はなぜ読まれるのか』(出版メディアパル)を読むと、「文庫」それ自体について、ほとんどなにも認識していなかった、と痛感させられること疑いない。本書は、「誰も知らなかった」とまでいうとやや言い過ぎかもしれないが、少なくとも、あまり知られていなかった、文庫の全体像をつかめるという意味では、願ってもない、もってこいの1冊といっていいだろう。
 こういう本はそうはなかったから、書店、出版社、取次会社の文庫関係者は、どれほどか嬉しいにちがいない。喜ぶ顔が目に見えるようである。

 1 本書の概況  

 改めて述べると、本書は文庫の全体像について書かれた本である。そのことを示す目次内容は、以下のようになっている。 

 序章 いま、なぜ「文庫」なのか
 第1章「文庫」とは何か
 第2章「文庫」の歴史(戦前編)
 第3章「文庫」の歴史(戦後編)
 第4章 電子書籍時代の「文庫」とは
 第5章 データから見た「文庫」
 終章 現場から見た「文庫」の出版の特性 

 これを見るとこの本は、文庫の定義から現場から見た文庫の特性まで、文庫をめぐる基本情報を提供し、その発祥から現代までの歴史と状況を描き出す書、であることがわかってくる。さらに第4章に「電子書籍時代の『文庫』とは」とあるように、文庫の動向だけでなく、電子書籍と、これにからむ権利関係の流れが、理解しやすい説明で概観できるのもありがたい。
 版社である出版メディアパルのサイト(http://www.murapal.com/)の「本書のねらい」には、こうあった。

  文庫は、なぜ読まれるのか。文庫の歴史的考察と近未来を紐解く一冊
  戦前の文庫のルーツとその苦難の道を豊富な文献で立証
  戦後の文庫の歩みを克明に追い、さまざまな文庫の誕生ドラマを立証
  電子書籍時代の「文庫」のあり方とデータから見た文庫の実像を立証 

 基本イメージはこれで充分とも思われるが、もう少し立ち入って紹介していきたい。
 まずは著者。著者の岩野裕一氏は、実業之日本社の編集者である。『「少女の友」創刊100周年記念号 明治・大正・昭和ベストセレクション』(実業之日本社)の編集責任者といえば、あ~、あの豪華な本、と思い起こす人もおいでかもしれない。2010年、著者は、業界でも話題を呼んだ実業之日本社文庫の立ち上げにもかかわった。 

 ついで本書の成り立ち。著者の岩野裕一氏は、勤務のかたわら、母校である上智大学大学院でジャーナリズムの全般を学び直した。そのとき「仕事を通じて学んだことや疑問に感じたこと、自分なりに調べておきたかったことを土台に(p5~6)」修士論文をまとめた。これに「大幅な加筆修正を加えて、データもできる限り最新のものに更新(p6)」してできたのが本書、ということになる。 

 そして文庫の定義について。

 文庫とはなにか。この定義を本当にわかっているかと考えてみると、私は小型本としか思い浮かばなかった。それに対し本書の定義づけは、用語、出版現場、形状という3つの観点からなされている。うーん、そうか…。
 用語では、布川角左衛門、紀田順一郎、鈴木徳三各氏の所見から、出版現場では、取引条件と日本図書コードから、そして形状では、判型、用紙、製本の視点からアプローチする。文庫の定義の奥深さよ、と心揺れつつ感じ入った。 

2 文庫の草創期 

 宇宙とか生命とか人間と同様、文庫においても、その起源、発祥はどこなのか、という考察に関心が引き寄せられる。文庫の発祥は、私はなにかで読んで、てっきり岩波文庫と思っていたのだが、ことはそう簡単でなかった。ここからはじまる探求は、見方によってはスリルとサスペンスに富み、研究者のそれといってかまわない。 

 著者は、一般にいわれる1927年(昭和2年)創始の岩波文庫に対し、もっと以前、1903年(明治36年)の袖珍(しゅうちん)名著文庫(冨山房)や1891年(明治24年)の国民叢書(徳富蘇峰主宰の民友社)の説を取り上げ、文庫の発祥を論じている。
 さらに、文庫が小型本ということから、1883年(明治16年)の香夢亭叢書(春陽堂)、1892年(明治25年)の寸珍百種(同)1893年(明治26年)のニッケル文庫(右文社)、1897年(明治30年)の袖珍小説(博文館)などが紹介される。 

 それぞれの発刊の辞が掲載されているが、どれにも出版への志が感じ取れ、どの時代でも変わらない、ミッションとか使命感というべきものが、ストレートに伝わってくる。

 たとえば、冨山房の袖珍名著文庫には、「文学なき人は花実なき草木の如く、文学無き社会は公園なき都府に似たり(p41)」「社会の乾燥を医する清爽の水たらん(同)」などの一節があり、胸を熱くしてしまった。これらを読めるだけでも価値ありの1冊といえようか。

 なお「袖珍(しゅうちん)」という漢字に、あまりなじみはないが、「元来は『pocket』の訳語であったが、のちには『袖に入るくらいの小型のもの』を指す言葉となった(p38)」とのこと。

 ところで著者は、いましがた紹介した寸珍百種について、こう言及している。 

 そのジャンルは『万国発明家列伝』(渋江保)、『西郷南洲翁』(川崎三郎)といった偉人伝や、『支那漫遊実記』(安東不二雄)、『寛政年間仙台漂客 世界周航実記』(小原大衛編)といった旅行記、はては『仕出しいらず 女房の機転一名和漢洋料理案内』(自在亭主人)といった生活実用書まで多岐にわたり、現代の「雑学文庫」のはしりというべきラインナップであった(p37)。 

 明治時代なのにもかかわらず、ジャンルのなんという幅広さか、と息を呑んでしまう。

 ともあれ、これ以降、文庫の歴史は、戦前編と戦後編に…戦前編は明治後期、大正、昭和初期に、戦後編は1960年代まで、70年代、80年代、90年代、2000年以降とわけられ、各々が非常にたんねんに追跡される。

 歴史から多くを学べるということは、文庫にも当てはまる。27ページから86ページまでの、いわば文庫戦争の歴史は、ここだけ切り抜いて小冊子とし、日ごろから参照したい気もした。

 立川文庫(たつかわ)のところでは、興味深いプロモーションに出会えた。 

  タテ125ミリ、ヨコ90ミリと現在の文庫よりもひと回り小ぶりなこの『立川文庫』は1冊25銭。総ルビで無学な者にも読みやすく、読み終わった本に3銭を添えて本屋に持っていくと新しい本がもらえるという貸本式の販売方法が大当たりして、大阪の丁稚小僧はもとより、全国の少年たちが熱狂的に読んだというさまは、昨今の少年漫画を思わせる(p44)。

 この辺は、「うーん、そんなこともあったのかぁ」とまた感嘆させられる。「岩波文庫の先駆となる抜きん出た存在(p45)」であるアカギ叢書は一冊10銭均一で、外国語や古典は通俗的な現代語に翻訳し、膨大な内容も必ず100ページにコンデンス(圧縮)するという編集方針のもと(中略)、1年余りで108編(発禁や欠番があり、実際に刊行されたのは全103編105点だった)の書籍を矢継ぎ早に刊行、爆発的な売れ行きを示したといわれる(p45~p46)。

 そのジャンルも「歴史や教養ものだけでなく、時事問題まで取り扱った内容の幅広さは驚嘆すべきもの(p46)」であったという。先ほどの寸珍百種といい、このアカギ叢書といい、文庫の草創期において、ノンフィクション文庫の企画が、ここまで豊饒になっていることには、いささか驚かされてしまう。

 このアカギ叢書の誕生は、第一次世界大戦がはじまった1914年(大正3年)であるが、同年には新潮文庫(第1期)が、1927年(昭和2年)には岩波文庫がというように、私たちにとり、親しみ深い文庫が創刊されていく。 (次回につづく)

  Web連載「新 棚は生きている(1月号)

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*青田恵一(あおたけいいち)略歴

八重洲ブックセンター、ブックストア談などで書店実務を経験。
現在、青田コーポレーション代表取締役。中小企業診断士。
書店経営コンサルティング・店舗診断・提案・研修指導。

<主な著書>
『よみがえれ書店』『書店ルネッサンス』『たたかう書店』『棚は生きている』などがある。