書評 『出版産業の変遷と書籍出版流通』に学ぶ 青田 恵一

日本の出版界に対する暖かい眼差し

 蔡星慧著『出版産業の変遷と書籍出版流通』

青田 恵一 

出版メディアパル・オンライン書店  
 

   奇跡の書といっていい。なぜ奇跡かといえば、発売されたばかりのこの本、『出版産業の変遷と書籍出版流通』(出版メディアパル)をひも解く人は、歴史を踏まえた、出版流通の真の姿を知ることになるからである。
 だがなにより先に、日本における出版の特質を探るため、多くの時間とエネルギーを傾けた著者、蔡星慧氏に敬意を表したい。
 過去の誰が、こんなにたくさんの人々に直接会って話を聞き、問題点を抽出し提言できただろうか。これだけの調査を敢行し、こういうレポートをまとめ得たであろうか。
 著者は、要請を受けてくれた出版社30社、取次会社7社、そして書店店長30人の一社一社、一人ひとりに、長時間だが誠実な面接インタビューをおこなった。
 自社のことから、業界のこと、新古書店、ネット書店、そして委託制・買切り制、再販制、電子書籍のテーマ、ついには政府による出版支援の問題まで、すべてを聞き出したのである。この努力が素晴らしい成果となって本書に結実した。
 その提言は、主張すべきは断固として主張しているが、筆致そのものは、一歩引くようにていねいで柔らかだ。 全体の構成は、第1章が本書の目的、およびアプローチの方法、つぎの第2章と第3章が戦前と戦後の出版産業の変遷、第4章が欧米と韓国の出版流通、ならびに中小出版の可能性について、そして最後の第5章が結論となる。
 これに付章として「日本の書籍出版産業の構造認識(インタビュー調査のまとめ)」が、また資料編として年表と用語集がついた。 蔡氏が拠って立つ視点は、3つプラスワンであろう。
 3つとは、歴史、海外、そして人材、言い換えるなら、時間と空間、そこで生きていく人という視点。加えてプラスワンとして、その人が躍動する現場、という最も大切な切り口も押さえる。 この4つの視点から分析・提言されているのは、果たしてどんなことか? あえて単純化すれば、歴史の視点からは、今日の出版産業は近代・戦前の基盤を受け継いでいること、具体的には、雑誌のシステムに書籍流通が乗っていることへの問題提起、海外の視点からは、再販制をもっともっと弾力運用すべきこと、さらに人材の視点からは、人を大事だとしながらも動かない現状を変えるべきこと、などだろうか。
 むろんこれらは、私たちが正面から見据えるべき課題にほかならない。現場の視点も驚くほど感じられるが、聞き取りの際に受けた感慨も影響している模様だ。著者は率直にこう語っている。
 書店の調査は、書店現場の方々の大変さや工夫、喜びとやりがいを伺える貴重な機会になりました、と。 三者が互いに率直な要望を出し合っているのも得がたいこと。
 三位一体といっても、心底信じている人は少なく、本音はなかなかわからない。それが正直レベルでつかめるのだから、これほどありがたいこともない。たとえば、出版社が書店に望んでいることを、多い順に並べると、商品知識を備えた人材の育成、展示の仕方・売り方の工夫、個性化・専門化、読者ニーズのキャッチ、情報の交流…となる。
 この逆に、書店が出版社に求めているのは、販促情報が欲しい、無駄・量的な抑制、営業力の工夫、マージン体系の問い直し、オリジナリティを生かすべき、書店の変化と現場を見るべきなど…だ。ふたつのリクエストをじっくり見比べると、考え込んでしまうのはなぜだろう。ともあれ、このような本音の数々を引き出したのは、ひとえに、辛抱強く訪ね歩いた著者の功績であることは間違いない。
 最後に蔡氏は、現状からの突破口として、「特化」というキーワードを提示する。そのために必要なのは「出版界のエキスパート育成及び質的向上」だが、現状では「出版界における人材育成の対応は非常に乏しい」。
 出版社の編プロへのアウトソーシング増大、大型書店での正規社員からアルバイターへの切り替え進行などを例にあげつつ、こう述べる。
  中小出版の存立が危機であるといわれつつ、出版界は数や量の世界になっている。いずれは淘汰されるべきであるといった意識が根底を占めている。しかしながら、中小書籍出版、マイナーの出版物を流通させる中小取次、書店の存在なしで今日の出版界の成長は考えられない。その中小出版の存立は長期的な人材育成、特化のほかないのではなかろうか。
  もちろんこの解決方向は、中小出版社だけでなく、書店を含めた出版業界の全体に及ぶものだ。実証的な研究を経てのことだから、言及は正しく、その分やや厳しく映るところがないでもない。にもかかわらず、本書全体を通して感じるのは、日本の出版界に対する暖かい眼差しである。
こういう控えめながらも、愛情を持ってキチンと指摘している本を、閉塞感のあるいまだからこそ、業界こぞって熟読すべきではないだろうか。 
     (『棚は生きている』より 出版ニュース 2006年11月上旬号掲載)