書評 『韓国の出版ガイド』に学ぶ 青田 恵一

青田恵一のお勧めの一冊

海外の出版・書店事情最前線

「韓国の出版事情」
舘野あきら・文ヨンジュ 共著


出版メディアパル・オンライン書店
 

 韓国の出版動向から浮き彫りになる日本の姿

 若いころ、友人が挑んでいた「民間外交」の一環で、韓国のソウルを訪ねたことがある。といっても、小学校同士の「絵の交換」と折り紙講習が、おもなメニューであった。
 じつはそのとき ―― まったく若気の至りだったのだが ―― バッグの底に密かに1冊の本を忍ばせていた。
 環境問題のバイブルといわれた、宇井純さんの『公害原論』(亜紀書房)である。第1回大宅壮一賞(著者辞退)の石牟礼道子著『苦界浄土』(講談社)を読んで水俣病を知り、その延長でこの本に出会ったのだ。そんな振る舞いに、韓国もいずれやってくる環境破壊に備えたほうが、といういささか一方的な気負いがなかったといえば嘘になる。

 税関をこわごわ通過して乗った飛行機は、一路、ソウルへ。で、学校訪問の道すがら書店を探した。当時、大きい店はあまりない。たまたま入った最初の書店で、私は棚に予想外なものを発見し、思わずのけぞってしまう。それこそ、危ない橋を渡って持ち込んだはずの、まさにその『公害原論』であった。まさか! そんなはずは…と目を疑ったものの、その本は、あまりにも厳然と存在していた。とっくの昔に問題なく入り、しかも隅々まで流通しているみたいである。こんな形で不意打ちを食らった私は、どうも出鼻をくじかれたようだった。あきらめるにあきらめきれず、悄然と棚の前で立ちつづけた。だが、いくら、しゅんとしていても、なにがどうなるものではない。本はそのまま持ち帰るしか手がなかった。もっとも今度は、隠さずに、威風堂々とだったが。
 あの愚かしい一件から久しい時が流れ、いまやソウルにも巨大書店が増えている。あれから、韓国の出版界はどう成長を遂げたのだろう。このたび、それをコンパクトにまとめあげた、格好のテキストが刊行された。これが、舘野あきら氏と文ヨン珠(ムンヨンジュ)氏の共著による話題の書、『韓国の出版事情』(出版メディアパル)だ。
 力作である。文章は読みやすく内容もわかりやすい。テーマも、現在が抱える課題から、読書環境、出版教育まで、眼配りのいい設定で、読み進むにつれ、“文化のなかの出版”の姿が、おのずと立ち現れてくる。こんな本が日本の出版論でもあるといいな、と思いつつ一気に読み終えた。
 これまでは、韓国の出版に関する本そのものが少なくて、「近くて遠い国」という表現は、そのまま出版業界にも当てはまった。だがここにきて、日本のアジア出版へのまなざしが熱くなっている。こういうタイミングで本書が出現したのは、出版関係者にとってよい刺激になること、受け合いと確信する。なお著者のひとりである舘野皙氏は、韓国の出版動向に通暁しており、「出版ニュース」の海外出版レポート、韓国編を長期連載中。併読をお勧めしたい。
 さて私にとって、これまでの韓国の出版イメージというのは、インターネットの普及で、ネット書店やダウンロードビジネスが隆盛となり、コミック販売が不振、リアル書店も押されつつあるが、そのリアル書店でもメガ・ブックセンターが増え、日本でいう「街の本屋さん」が苦境に立っている、というぐらいのものだった。
しかしこれらは、ほんの一部に過ぎなかった。本書で新たに知ったことを、以下に箇条書きしてみたい。
(1)新刊発行点数。2005年の新刊発行の点数は3万5992点で、対前年130.8%(コミックを含めると4万3585点で123.2%)。部数のほうは9638万9652部で117.4%だが、コミックを加えると、1億1965万6681部で109.8%となる。いずれにしても、二ケタ増という大幅な伸びを示しているのには驚かされる。
(2)流通制度。書籍流通の基本は、委託販売制(または常備任置販売制)と定価販売制(再販売価格維持制度)。すなわち、委託制と再販制だから、ベースは日本と同じことになる。「任置」というキーワードは聞き慣れないが、「委託に類似しているが、図書の所有権利は出版社がもち、取引先は管理責任だけを受けもつ」(p.42)との解説あり。
(3)流通チャネル。雑誌と書籍の流通ルートはわかれており、加えて教科書ルートもある。雑誌はやはり苦戦だが、注目されるのは、海外雑誌と契約した「ライセンス雑誌」が増えている点。このままでは、コンテンツ開発力が低くなるのではと危惧されている。
(4)「出版及び印刷振興法」。過去、書店では20%~30%、さらにネット書店では30%~50%という大幅な割引販売がおこなわれ、中小書店が苦戦する要因となってきた。この対策として2002年、「出版及び印刷振興法」が成立し、翌年から施行された。その結果、発行1年以内の書籍は、ネット書店を除き割引できないようになった(逆にいうなら、1年以上の本は値引き可能という時限再販の形になる)。これができるまでの「図書定価制」の激しい歴史は、日本でも参考になるように思う。
(5)割引販売。そのネット書店では、マイレージ制、景品提供、送料負担などで、実質、20%~30%の割引が常習化している。さらにマイレージ制はリアルの大型書店でも実施されており、それが事実上できない中小店の「不満と憤激は高まるばかり」という。ちなみに書籍には、消費税(付加価値税)が課税されていない。
 いくつか補足したい。
 流通において日本と異なるのは、書籍ルートで、出版社と書店が直取引する割合が高いこと。直接取引ルートと、卸売業者を通す通常ルートの比率は6対4らしい。もっとも現在は、取次会社が物流センターの建設など、卸売機能を強めたことで、通常ルートが増えつつあるという。チャネルの多様化も進む。急成長をつづけるネット書店(オンライン書店)、テレビショッピング(通販)、さらに最近ではディスカウントストアでの割引販売(DSルート)も目立っており、既存の店(オフライン書店)は危機感が強い。
 正味の話も出てきて、とりわけこの点は興味津々。買切りにもからんでいる。「出し正味の決め方」から核心部分を引用する。
 単行本の場合は、かつては出版社が定価の75%前後で供給していた。けれども現在ではそれが60~70%と多様化、かつ低下傾向にある。だが、これはあくまでも「一般的慣行」であって、出版社や卸売業者は出版物のジャンル、取引形態(任置、納品、買切り)供給部数の多寡によって「出し正味」を決定している。さらに前評判の高い新刊書の発売、長期大型出版のときなどには、供給部数を増やすことを条件に「出し正味」を低くすることがある。こうした取引を「変則買切り」という。(p.39)
 ここは、ひとつの方法として刺激になると思われる。
 リアル書店の動向も、日本の先行指標になるかもしれない。中小書店の急減ぶりは恐ろしいほどで、一説によると、5年、10年先には、小規模・零細書店が皆無になるという。これに対し、マンモス化を図る大型書店は、世界的趨勢とはいえ、チェーン化を進め、もはや「独走状態」とのこと。その代表は、教保文庫、永豊文庫、ブックス・リブロ、バンディ・アンド・ルニスなど。
 なかでも教保文庫は、現在の店は10店だが、「安定的な資本力とブランド力、豊富な専門知識をもとに」、70店まで増やす計画。店の外の壁面には、「人は本を創り、本は人を創る。本は永遠である」という宣言が掲げられている。そのソウル江南店は3600坪を誇り、保有図書は35万点200万冊。八重洲ブックセンターと友好協定を結んでいる。
 最後に、書店に対する手厳しい、しかし愛のこもった以下の提言をお読みいただきたい。
 書店の経営環境は日々厳しくなるばかりであるが、これまでのオフラインの大型書店と小型書店は、委託販売と定価制という枠のなかで安住してきたきらいがある。いままで書店が本を売るためにどのような努力をしてきたのかを改めて問い返したい。他の物品販売業に比べて書店業界は果たして熾烈に時代を切り拓いてきたのかが問われている。
 またこれまで小型書店が地域特性を生かした自分なりの競争力の整備を怠ってきたのも事実なのだ。書店は今後人材の専門家、証券に対する正確な分析、読者とのコミュニケーションを通じて競争力を身につけねばならない。地域特性に結びついた独自の経営マインドで、読者を取り戻す力をもてるかどうかが今後の要となるだろう(p.50)。
 指摘の多くが、日本の店にも当てはまるのは驚くばかりだ。他人事としては、とても読めない。じっさい、これを知ると、韓国でも日本でも、書店は同じ壁に向き合っているようにも思えてくる。本書を読み進めるうちに、いつしか、日本の出版の姿が浮き彫りになってくるのも、そういうわけなのだろう。
 こうなると、すくなくとも出版については、「近くて遠い国」から「近くて近い国」に向かっている気がしてならない。だからこそこれからは、参考になる点は、お互いにもっと学び合い、吸収し合ってもいいのではないか。そのとき、この本、『韓国の出版事情』は、類のない絶好のバイブルとなるにちがいない。
 なお韓国の書店では、日本書コーナーが目立つ位置にあって、人気沸騰らしい。棚も充実し、村上春樹、塩野七生、村上龍、吉本ばなな、片山恭一、奥田英朗、浅田次郎、黒柳徹子、柳美里、唯川恵、江國香織、谷村志穂、辻仁成などの作家の主要作品が、「ずらりと顔を揃えており、しかも、絶えず人だかりがしている(p.11)」という。

(『棚は生きている』より 出版ニュース 2006年7月中旬号掲載

 
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