web連載「福嶋聡著『紙の本は、滅びない』から学ぶ(1)」

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「電子書籍の時代」を生き抜く書店のあり方とは

福嶋聡著『紙の本は、滅びない』から学ぶ(1)

青田恵一 

出版業界で近年の最大トピックスは、電子書籍の問題にほかならない。ここ数年、業界人、なかでも書店で働く人間は、いままさに大型ハリケーンが襲ってくるような報道の嵐に、幕末の黒船来航みたいな雰囲気を感じ取り、少なからず不安を書き立てられてきた。

1 本書は「本の海に漂う航海」から生まれた 

ジュンク堂書店難波店の福嶋聡氏が、6年ぶりに、新刊『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書)を上梓した。収められた文章を書き継いできた氏にとって、この電子書籍の問題は、念頭から一瞬も離れなかったと思われる。氏は、あとがきに「電子書籍を前に怯むことはない」と記したあと、こうつづけている。 

 電子書籍が定着せず廃れていく、と言いたいのではない。読書端末に拘らなくとも、文字情報は、デジタル化された方が便利なものはずっと以前からデジタル化されている。だからといって紙の本が電子書籍に「負ける」わけではない。取って代わられるわけではない(p254)。 

編み上がった本書を読み返すと、この5年間のぼくは、紙の本の存在理由と優位性を探る、本の海に漂う航海の中にあった。幸いなことに、ぼくにとっては、毎日通う職場こそ、その海であった(p255)。 

「本の海に漂う航海」から生まれたといえるだろうか、この本には、切れ味のよい包丁で裁かれたように、問題点が鮮やかに整理されており、教わること多大といっていい。以下、著者のリードにしたがって、本書から種々学んでいきたいと思う。

本書は3章にわかれる。
第1章 電子書籍は、紙の本に取って代わるのか?
第2章 デジタル教科書と電子図書館
第3章 書店は、今・・・・・・ 

 ひと目でわかるように、第1章は電子書籍論、第2章はデジタル教科書論と電子図書館論、そして第3章が書店論である。とはいえ、それぞれ別なものではない。「電子書籍の時代」に書店あるいは出版はいかにあるべきか、が問われているのである。 

2 電子書籍に対する「紙の本」の優位性とは 

まずは第1章の電子書籍論。

電子書籍に対し著者は、これまであまり触れられなかった負の側面をえぐり出す。詳細は本書に当たってほしいが、端末やソフトのバージョンアップなどによるデータ保存の限界、「電子媒体の物理的脆弱性、形式依存性、直接不可読性(p12)」等々、技術上、利用上の事柄に加え、書物という商品の本質にからむ問題も提起されている。

 とりわけ注目されるのは、電子書籍に対し紙の本の優位性をどうとらえるか、のテーマであろう。紙の本の優位性は「力の源泉」として3点、構築されている。 

(1) 携帯性・簡易性
(2) ファッション性
(3) ブランド性・カノン(典拠)性
である。

このことが書物、出版、書店の再生を進めるための福嶋出版論の骨格もしくは拠点となる。

(1)の携帯性・簡易性については、氏が創作したSF的エピソードに象徴されている。

 「おい、本っていうもの、知ってるか? これは便利なものだぜ。文字情報を必要なものだけ拾い上げて、プリントアウトした上に、きちんと綴じてあるんだ」
「じゃ、どこにでも持ち運びができるわけだ」
「もちろん、おまけに、読むのに、端末も、ソフトも、電源もいらないんだ」
「へえ。そんな便利なもの、誰が発明したんだろう!?」
「いやいや、昔は世界中に溢れていたらしい」
「昔は、便利だったんだね!」(p10~11) 

未来において「いかにもありそうな話」ではないか。

(2)ののファッション性は「自己表現」として語られる。紙の本の持つ「表現力」は、装幀の力を含めた「モノとしての書物の力」である。いわゆるファッションが「自己表現」であると同じように、1冊の書物は持つ人間のなにかを表現する。

(3)のブランド性・カノン性も非常に重要だ。ブランド性の説明では巧みな比喩が使われる。 

 誰でもボールを投げることはできるが、皆がプロ野球選手になれるわけではない。だからファンは高いチケット代を払っても球場に足を運ぶ。同様に、誰でも文章は書けるが、皆が多くの人々が読む価値のある文章を書けるわけではない。だから、読者は代金を払っても特定の著者の書物を求める(p19~20)。

 ついで「読者に対価を要求することができる書物は、それゆえブランド性を持つ必要がある」と述べたあと、こう訴える。
  読書に、限りある時間を消費することに見合うだけの価値が、そのコンテンツにあるか? その答が読書後にしか与えられえない以上、人を読書へといざなうものは、信頼でしかない。ブランド性こそ、商品としての書物にとって最後の砦なのだ(p20)。

 出版業界にかかわる人なら、この一節、とりわけ「人を読書へといざなうものは、信頼でしかない」の部分は何度もかみ締めたいと思うが、いかがだろうか。

 カノン(典拠)性とはきちんとした拠り所を指すが、紙の本にこの力があることを、著者は、「電子辞書が多数商品化されても、『広辞苑』が改訂されると、やはり売れる」例から説明している(p21)。

 ここらの議論には、擬似書籍化、市民記者、草の根報道、触媒作用といったキーワードも駆使される。著者の発想基盤の裾野がいかに広いのかにも気づかされた。 
電子書籍に関する著者・福嶋氏の主張は、書店人として真っ当なものであり、書店、出版、そして電子書籍の問題に対し、一貫したスタンスで、真摯に向き合う姿勢には共感を覚えた。 

3 デジタル教科書と「学ぶ」こと

この本ではさまざまのことを勉強できる。
 私は第2章「デジタル教科書と電子図書館」、とりわけデジタル教科書について多くを学んだ。
 話は議論の前提からはじまる。

 もともと人間には、文字読解の遺伝子が備わっていないらしい。脳の各部をつなぐ回路を作ることで「読字」できるようになるとのこと。しかもその回路は一度できたら、簡単には元に戻らない。だからこそ教育もメディアも重要になるという。したがってデジタル教科書は慎重であるべきと、著者はこう語る。

  文字に親しむ最初のメディアの変更が、脳の回路の形成にどのような影響を与えるか、速断はできないからである。映像や音楽を駆使できるマルチメディアよりも、紙媒体の上に刻印された文字のほどよいカノン(典拠)性と抽象性が、想像力の自由な展開の余地を残し、より創造的な精神(=脳の回路)を育む可能性を、ぼくは信じる(p92~93)。

 ここで示されるカノン性と抽象性は――カノン性は先ほども触れたが――本書の重要キーワードである(抽象性については110ページ以降で丁寧に議論されている)。

 著者はいう。教育で大事なのは「いかに」教えるかではなく、「何を」を教えるかである。

  子供たちに何を教え、何を伝えていくのか、そして世界をどう変えていくべきかを、今こそ真剣に議論しなくてはならない時ではないか? そのためには、時代と果敢に切り結ぶ書物たちが書店というアリーナに結集してそれぞれの存在感をアピールしていくことが、何より重要なことだと、ぼくは思う(p105)。

 ここに、書店は「なにを売るべきか」の答のひとつがあることは、心に留めておきたい。
                               (次回につづく)

 
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