web連載10月号『復興の書店』(小学館)で書店人はこう語った(前編) |
書店は〝街のオアシス〟である―「小売業としての書店」を目指して4
青田恵一 『復興の書店』(小学館)で書店人はこう語った(前編) 大宅壮一ノンフィクション賞受賞作家、稲泉連著による『復興の書店』(小学館)が刊行された。『週刊ポスト』(同)に連載されたものであり、ご存じの方も多いにちがいない。読み逃した回もあったため、1冊の本になるのは、やはりありがたい。「新たな取材によって大幅に加筆した(あとがき)」ともいうから、なおいっそう期待できよう。 本書は、東日本大震災の地震、津波、放射能により被災した書店と、その〝復興〟の経緯を描いた書店ノンフィクションである。北は岩手県・山田町の大手書店から、南は福島県・いわき市のヤマニ書店まで、おもに東北地方の太平洋寄りのお店が対象となっている。 著者に語った書店人の言葉や対処には、しっかり受け止めたい、覚えておかなくてはと思わされるものが数多く存在した。とくに心に響いたいくつかを、避難誘導、書店の原点、感謝の気持ち、MD(商品政策)、お客さまのありがたさというように、テーマ別に再編成し紹介していきたい。 1 避難誘導を語る 本書には、書店人の九死に一生を得た体験、お客さまの避難誘導、本を求めるお客さまの声、本の力と役割のことなども描かれている。 レジの現金を取り出し、ちょうど配達から戻ってきた鈴木真店長に預けると、彼女は客がみな車で非難したのを確認してから店の向かい側の高台にある幼稚園に向かった(p32)。 「客がみな車で非難したのを確認してから」に絶句する。仙台にあるジュンク堂書店仙台ロフト店の佐藤純子さんは、このように対応した。 あの日、彼女は非常灯でオレンジ色に染まった店内から、懸命に客たちを避難させた。なかには床に散乱した本を踏むことを躊躇する人もおり、「気にしなくていいですよ」と声をかけて避難階段まで誘導した。それから誰もいなくなった店の棚を一つずつ叩き、下敷きになった人がいないかを確認した(p115)。 2 書店の原点を語る この大震災のなか、書店人はなにを考え、なにをなしたか。 福島県飯舘村にある、ほんの森いいたての初代店長、横山秀人氏は、銀座の教文館で研修を受けたとき、女性社員のひと言が印象に残ったという。 彼女は棚や平台の本を整えながら、「本屋の棚というのは、こうやって耕すんですよ」と言ったんです。私も家が農家だったので、その言葉には膝をうちました。田んぼと同じで、棚は触れれば触れるほど生きてくる。それなら自分にもできるかもしれない、って(p139)。 「書店→できそう」ではなく、「書店→自分の体験→できそう」と、ワンステップあるのがいいと思えた。もちろん「棚は触れれば触れるほど生きてくる」は、胸の奥に刻みたい。 ある夫妻が縁あって作った書店。岩手県大槌町の「化学薬品メーカーで働いていた木村薫さんが、妻の里美さんとともに始めることにした(p154)」のが、一頁堂書店である。その開店時の話。 最初は本を聞かれても探し方が分からなくて、お客さんが一緒に探してくれたような状態でした。みんな同じ町の人だから、私たちが素人だっていうのを知っていて、行列のようになって探してくれたんです。有難かったですね。それで見つかったときは拍手が出たくらいで、お客さんとお互いに「ありがとうございました」と言い合っていましたね(p156)。 これは、書店の失われつつある麗しい風景かもしれない。オープンの際の挨拶にも心が揺さぶられた。 この町では多くの人たちが亡くなりました。亡くなった方々に対して恥ずかしくないように、生きていることに、仕事ができることに感謝しながらがんばりましょう。そして、この町の歴史の一頁を開きましょう(p155)。 「恥ずかしくないように」「感謝しながら」「歴史の一頁を開きましょう」といったキーワードに、ググッとくる。 働き始めて知ったのは、接客業としての喜びでした。特に小さいお子さんが嬉しそうにレジに本を持ってきてくれると、本当に心から「ありがとう」と言いたくなるんです。書店に限らず、お客様の期待に応えて喜んでもらうことが、商売というものの原点なんだな、って(p61)。 「お客様の期待に応えて喜んでもらうことが、商売というものの原点」――忘れてはならないことである。ついで同じく福島県の相馬市、丁字屋書店の佐藤トキエ氏。 本屋って最初から欲しい商品がある人もいるけれど、いちばんの魅力は何となく棚を見ながら、一人で自分の興味のありそうな本を探せるところですよね。その意味で気分転換できる場所だったのかな、と思うんです(p73)。 私事ながら、高校時代まではあまり本を読まなかった私だが、ときどきでもこの店に寄っていたのは、「気分転換」を求めてのことだったかと、あの頃を思い出した次第である。 |