30年目の「本の学校=出版技術講座」と私

『本の学校=出版技術講座』30年の歩みから

―「職業教育の必要性と課題」― 

出版メディアパル 下 村 昭 夫 

 編集の仕事は、「読者とともに、著者とともに、同時代を考え、夢をはぐくみ、未来へ向けメッセージを送り続ける」ことである。その夢とともに、一人一人の「本と編集者の世界」があり、本を作り続けてきた歴史の上に、その夢が発展するわけだから、今、「編集の心と技を学ぶ」ことが、求められているといえる。
 このリポートは「職能教育の必要性と課題」について、1980年から出版労連が取り組んだ「本の学校=出版技術講座」の30年の歩みの中からの教訓と課題を報告するものである。 

Ⅰ.出版の仕事とは

 編集と製作全般に触れた古典的名著にスタンリー・アンウィン氏は『出版概論』が挙げられる。その中で、アンウィン氏は編集の心を解き明かしているが、「出版という仕事は、企画-編集・制作-販売という製作過程全体の中でのアンサンブルが大切である」という風に述べているように思える。
 また、鈴木敏夫氏は、『基本・本づくり』のなかで、出版人に必要なABCにふれ、「ABCとは、Art(芸術)、Business(営業実務)、Craft(技術)を略したものです。アートは、“芸術”と直訳するより、“知的創造力”(企画力に通じる)といった方がいいかもしれません」と芸術家と職人の同居した編集者像を描き、「ABCの三つをマスターしてプロ精神に徹して欲しい」述べている。 

Ⅱ.編集の仕事と職業教育

 以上のような視点で、出版産業を支える編集者の技能をいかに育てるかを考えたとき、出版現場における「職能教育」のあり方が改めて問われているといえる。
 もちろん先駆的な役割を担っている「日本エディタースクール」や「日本ジャーナリスト専門学校」(2010年3月で廃校)等での専門教育を受けていれば、その基本的職能技術としては十分であるといえるが、必ずしも、新人編集者がその卒業生である保証はない。
 個別企業のおける継続的な職能教育は皆無ともいえる現状で、業界団体で、取り組まれているし職業教育には、日本書籍出版協会の新人教育講座が4月に2日間、11月に実務教育として『本づくり講座』が2日間行われている。
 また、日本出版クラブでも、春に『本づく基礎講座』が2日間行われており、本年度から、秋に『営業入門講座』が行われる予定である。
 なお、日本における大学教育の中で、正式に「出版学科」を設けている学校は皆無に等しく、「新聞学」の一環であったり、メディア論の一環であたりする。その中で、実践女子短期大学・日本語コミュニケーション学科の編集コースは唯一の大学教育と言える。 

Ⅲ.出版技術講座の役割と課題

 1980年5月、日本出版労働組合連合会(略称:出版労連)が開講した「本の学校=職業技術講座」は、1982年から「出版技術講座」と名称を改め、2010年で第30回目を迎えた。
 改めて、出版の未来の担い手を育ててきた「30年間の歩みと歴史的位置付け」を考えてみることにしたい。 

1.「本の学校=職業技術講座」の誕生

「職業技術講座」の誕生を「機関紙/出版労連」(1980年3月21日、第703号)は、次のように伝えている。
 『人数の少ない職場で働いていると、なかなか仕事を教えてもらう機会が少なく、不安なままいつしか我流に陥りがちなもの。主に組合員で仕事上のベテランの方々に、一肌脱いでもらって、月二回の教室を開くことになりました』
 『講義と交流を組み合わせた教室となります。募集人数は50名で、対象は規模30名程度以下の出版社の労働者を中心に考えています。場所は、平凡社別館の会議室。市ヶ谷駅から歩いて8分です』
 続いて、「機関紙/出版労連」第704号では、『3月24日から募集を始めた「出版労連/職業技術講座」は、短期間に応募が殺到し、受講人数を若干増して、いよいよ5月8日から開講される』と報じ、『予想以上の応募に、うれしい悲鳴をあげています。良い仕事をしたい、仕事を覚えたい、という労働者の深い要求の現れだと思えます。逆にいうと、いま職場では仕事をキチンと教えてもらえないことの反映です。 受講できない人も出ましたが、次の機会をぜひ作りたいと思います。こうした状況は、出版労連が、この三年来強調してきた “新しい質の労働運動”の方向を示すものであり、こういう分野の取り組みをいっそう強めていきたい』と、同講座運営委員会の向山事務局長の談話を紹介している。
 第1回の「技術講座」の主な内容は、第Ⅰ課程が「本を作るための講座六講座」、第Ⅱ課程が「本を売るための講座四講座」、第Ⅲ課程が「出版文化論二講座」で構成されており、第一講座では、岩波書店の岩崎勝海氏の「企画と編集」を配置、「本の製作」「校正の基礎知識」「印刷の基礎知識」「定価計算」「雑誌の販売・本の販売」「販売と流通のしくみ」「在庫管理の実務」「出版広告の基礎知識」「書店から見た出版文化」などの実務講座を出版現場のベテラン編集者・製作者などで受け持ち、最終講座では、哲学者・古在由重氏の「平和のための出版の自由―いまならば、まだ、遅くはない」を配置するなど本格的な講座となっている。 

2.「新しい質の労働運動」と「出版技術講座」

 新しい質の労働運動とは、1978年から1980年にかけて技術革新が急速に進行する中で、出版労連の運動方針に掲げられたスローガンのことで、「出版の仕事、企業・産業のあり方を労働組合の立場から見直す」という考え方が、1979年度の方針案に掲げられている。
 当時を回想して、2002年7月4日に行われた「出版技術講座20周年記念講演」で、後藤勝治氏は、次のように講演した。
 『1979年の6月に、「出版労連結成20周年」を記念して、森下昭平氏(当時、出版労連副委員長)を団長に39名の方が、「イタリア・フランス視察団」として、CGT(フランス総同盟)やCGIL(イタリア総同盟)を訪問しました。
 視察団は、ヨーロッパの出版社や書店の現状を学び、その中で、フランスやイタリアの労働者が、どんな権利を獲得し、どんな風に働いているのかを学んでくるのですが、そんな中で、ヨーロッパの労働組合が、職業教育に熱心に取り組んでいることも見習うべき課題の一つとして学んできました。
 特にドイツでは技術教育が盛んで、「書籍業職業学校法」に基づき「書籍職業学校」が労働者自らの手で運営されていますが、一般的にヨーロッパ型の賃金の基準に労使間である種の合意のある職種ごとの賃金基準があることも要因していると思われます。
  一方、日本でも、全印総連の仲間達が、技術教育の必要性を強く感じ、東京地連が中心になって、東京都に働きかけ、「印刷技術向上」の講座を、赤羽職業訓練校の夏期講習の形で始めています。(注:この東京都と連携した講座は、現在では中止されており、代わりに全印総連・東京地連独自の講座が開催されている)
 日本でも、単に、時代の変化や技術革新に対応するだけでなく、自分達の賃金水準を上げてゆくためにも「自らの職業技術の水準を高める必要がある」という職能意識がこの時期に芽生えてきたといえます』
  そんな中で、出版労連は1978年の運動方針の中で、「新しい質の労働運動」という方針を掲げ、次のような考え方を明らかにしている。
  『ますます深刻化する出版産業の停滞ないし後退状況のもとで、商業主義と寡占化が進行し、そのことが日本の出版文化の質に影を落としている今日、出版という仕事や出版企業のあり方を問い、自らその答えを求めんとする我々のたたかいは、単に我々自身の生活と仕事の場を確保するという職業的利益のためだけでなく、広範な国民の文化的要求にこたえるという出版労働者の社会的責務に答えるものであり、今、ようやくその端緒を掴みえたといえるだろう』
  仕事のことは、経営者任せということではなく、「企業の枠を超えて、出版文化の担い手としての出版労働者の連帯が必要なのだ」ということが語られ始め、認識され始めた時期といえる。
 そして、その職能意識の芽生えが、1976年の1月に生まれた合同労組(企業規模30名以下の小さな組合の集合体)の組合員の職場の強い要求と重なり、「第1回職業技術講座」が開催された。 

3.「出版産業政策試案」と産業政策委員会の確立

 1980年6月に発行された『出版レポート』に出版対策委員会の試案という形で発表された『80年代の出版のあり方―出版産業政策要求20項目(試案)―我々はこう考える』が、大きな話題を呼んだ(出版対策部部長折田直昭氏)。
 政策の基本は、「国に対する要求五項目」「地方自治体に対する要求3項目」「出版業界に対する要求9項目」「企業に対する要求3項目」などからなっている。その出版業界に対する要求の中に「常設の出版技術講座を開設せよ」という項目があり、『現在、西ドイツでは、「書籍業職業学校法」に基づき、「書籍職業学校」がつくられ、権威と実力のある職業人を育成しているが、この方式などの研究の必要があろう』と位置付けられている。
 そして、本格的な「産業政策の確立をめざす」ことを基本的に位置付けた「産業政策研究委員会」が新たに構成され、『出版産業の民主的発展をめざした産業政策要求づくり』の具体化に着手、その第一歩として、従来の「出版研究集会」の成果を引き継ぐ形で1981年3月20日21日に「第1回出版産業討論集会=核時代の出版文化」が開かれた。
 その後、産業政策要求づくりの柱として、「出版共済組合の設立」「業種分析・産業分析の確立」「流通問題対策委員会の確立」「技術革新への対策」などが掲げられ、さまざまな角度からの産業政策づくりの研究が始まった。9月には、「資料・産業政策研究‘81」が発行された。
 そして、1982年度の「運動方針」一項目に、『はじめての試みとしてとりくんだ「第一回職業技術講座」の成功を発展させ、今後さらに内容的にも充実させて、権威ある講座として定着するよう、努力を強める』という項目が掲げられ、出版技術講座の運営が産業政策委員会の活動の一つとして位置付けられた(出版対策部部長後藤勝治氏)。
 なお、出版労連の「産業政策要求」は、その後、1994年に「これでいいのか出版産業」という形で、90年代の「産業政策要求」が提案され、1999年には、21世紀を目ざす「産業政策要求」として、「出版産業への提言」が発表され、時代に対応して発展的な政策提言が行われてきた。 

 4.恒常的な「技術講座」の確立を目ざして

 「技術講座」の運営を担うことになった産業政策委員会は、「第1回職業技術講座」の成果を学び、基本的には、「本を作るための基礎知識」「本を売るための基礎知識」「出版文化論」という三つの柱を踏襲しながらも、初年度の講座内容を検討、5月から12月までの「月2回」8ヵ月にわたる12回の講座運営は、「運営側にも、受講生にも無理がある」と判断し、5月から6月の2ヵ月で、「本を作るための基礎知識」を中心に6講座~8講座で運営することとした。
  参加対象も初年度が、「企業規模30名以下の出版社に働く労働者」としていたが、門戸を広げ一人でも多くの参加希望者が受講できる講座とし、名称も親しみやすいように「出版技術講座」と改めた。
  運営委員会の体制は、産業政策委員会を事務局(現在は「出版・産業対策部」運営委員:出版対策部長+講座担当中執)に「合同労組、教宣部、青年会議など」で構成する。
  そして、次のような運営要綱が定められ、「出版技術講座」の常設化を目ざす運動が始められた。
   組合員の自主的なスキル(技能)学習の場として、ドイツの技術教育制度に学ぶ。
  * 自主運営に努め本部財政に頼らず、赤字は作らないが利益をあげる必要はない。
   受講者へのサービスに努め、最少の費用で最大のサービスを提供する。
  * 節約をモットウに備蓄に努め、講座運営に必要な機材、備品類の拡充を図る。 

  生まれたばかりの講座は、「教材はない、教室がない、お金もない」3K状態のゼロからの出発であったが、「ニューメディア・技術革新時代」を迎え、技術教育が強く求められていた。
 この基本方針に基づき、1982年の「第2回出版技術講座」から、2010年開講の「第30回出版技術講座」まで、労働組合の自主講座として、「本の学校=出版技術講座」が毎年行われ、50人ないし60名ほどの受講生が、この「編集者のための夜間学校」を巣立っていき、いろいろな会社で出版文化の担い手として、本や雑誌を作り続けている。30年間の延べ人数は、2500名を数えている。
 このような労働組合での継続的な職業教育への取り組みは全国的あるいは国際的にも事例は極めて少なく、業界団体はじめ労使双方から注目されている。 

5.「関西出版技術講座」と「フォローアップセミナー」

 東京の「技術講座」が軌道に乗り定着した成果を受け、切望されていた大阪での「技術講座」の開催の準備が整い、1987年10月に「第1回関西出版技術講座」が開講され好評を得た。
 関西在住の出版社は約400社といわれている。大阪・京都の出版労連の組合員数は、おおよそ1000名である。東京のように日本エディタースクールもなく、学ぶ機会の少ない関西地域での「技術講座」の開催は、東京以上に困難な条件ではあるが、出版労連・大阪地協と出版ネッツ関西の努力で、今日までに第18回に及ぶ「関西出版技術講座」が開催され、延べ人数も1200名を数えている。
 なお、関西では、1988年から関西在住の編集者たちのボランティア講座として、「アミ編集者学校」が開講されていたが、この数年、開講されていない。
  東京の「出版技術講座」は、毎年5月から7月にかけて開催される「本をつくるための基礎講座」を常設の基礎講座とし、「電子出版講座」「DTP講座」「デジタル編集術入門」「編集者のためのデジカメ講座」「写真講座」「著作権講座」「原価計算講座」「製本講座」などのフォローアップセミナーにも年4回程度積極的に取り組んでいる。このフォローアップセミナーの30年間のトータル回数は、100講座を超え、延べ3500名の参加を得ている。 

6.「ビデオ・本づくりこれだけは」の完成

 1991年には、合同労組の中で、「一人でも入れる個人加盟の組合」が生まれ、「労働者の職業教育を考える会」なども開催され、1992年の出版ユニティの正式発足とともに、「本つくりの基礎知識」を誰からも教えてもらえない人たちのためのビデオ教材の必要性が強い要望となり、「ビデオ・本づくりこれだけは」のシナリオ製作が始まった。
 そして、1993年秋から1994年春にかけて、その撮影が行われ、出版労働者の手作りのビデオ「本づくりこれだけは」が、1994年の7月に完成、以後、「出版技術講座」のオリエンテーション講座に毎年上映されている。なお、「ビデオ版/本づくりこれだけは」は、出版メディアパルから市販ビデオ(本体価格5000円)として、2004年4月に発売されている。
 「一人の女性編集者が初めて本づくりに挑む」笑いあり、涙ありの52分のこのビデオは、毎年、見る人の共感を呼び、「まるで、等身大の自分を見ているようである」との感想も寄せられている。さまざま講座で上映されるこのビデオの上映回数も100回を超え、延べ5000名の観客数を数えている。
 なお、このビデオは、毎年、日本エディタースクールの「出版概論」の授業や実践女子短期大学の日本語コミニケーション学科・編集コースの「出版概論」の授業をはじめ、いくつかの大学での出版教育の授業でも活用されている。 

7.出版労連のホームページと「出版技術講座」

 出版労連のホームページは、1998年1月から正式に開設され、出版労連に関するさまざまな情報を公開している。その一つのサイトとして、Web版の「出版技術講座」も公開されてきたが、現在では、講座の記録のみ残して、出版メディアパルのWebにその内容は移行されている。
 出版メディアパルのサイトには、機関紙・出版労連に連載されてきた「渦・出版界の内と外」が「太郎さんと花子さんの出版技術講座」として収録されている他、常設の「基礎講座」で受けた質問に関する回答が「本づくりこれだけはQ&A」として、収録されている。また、筆者が、この30年間に『出版レポート』などに発表してきた主要論文が、「マルチメディアと出版の近未来」として、本書に収録した最近の論文は「出版メディアパル」として収録されている。「リンク」コーナーには、出版に関するさまざまなサイトにリンクが張られており、便利なお薦めサイト集になっている。 

8.夢をはぐくんで30年、「本と編集者の世界」

 「本と編集者の世界」というのは、その講座で発行している学校ニュースのタイトルである。このニュースは、講座運営に当たる私たちと、講座の受講生たちを結ぶ「架け橋」として、講座開催中は、毎週発行されてきた。この講座を支えてくれた多くの講師の方々と受講生の感想に励まされながら、運営委員会は、30年間仕事してきた。
 「出版技術講座」の役割を一言で言い表すと、「本づくりの心と技を次世代に伝達する講座である」といえる。私は、その講座とともに30年間、夢を育み、受講生とともに苦楽を過ごしてきたことになる。
 技術講座が30年もの間、現場の編集者に親しまれてきた主要因は「ベテランの編集者が、ノウハウを惜しむことなく公開し、本づくりの基本をわかりやすく、ていねいに伝達してきた」ことにある。同時に、時代の要請に応え、技術革新の進行にいち早くチャレンジし、「電子出版」や「DTP編集」など新しい編集技術の習得のチャンスとなったことにある。
 今後の課題としては、「より高度な編集技術」を伝達するための「中級編」の開講であるが、「教材づくり」などに課題が多く難問といえるが、インターネット時代のデジタル編集術のマスターが時代の要請である限り、チャレンジしなければならない課題である。出版技術講座とともに歩んだ多くの人々に感謝したい。