Web連載3月号「出版の原点からー出版クラブ活動」 青田 恵一

●Web連載「新・棚は生きている

出版の原点から

日本出版クラブの被災地支援活動(その4)

青田恵一

 8. バスツァー企画第2弾――福島第二原発の視察 

日本出版クラブは、出版業界に関係する人たちに、「なんとしても被災地を見て欲しい」という思いから、「被災地の力に学ぶバス・スタディツアー」を企画し、これまで2回実施している。

第1弾は、2012年11月28日の陸前高田と気仙沼へのバスツァーであった。副会長の相賀昌宏氏の発案だったが、これには出版社の経営者が48人参加した。日本出版クラブの専務理事、武田一美氏は「日本出版クラブのいい点は、被災を受けたところは、いつでもどこでも行けることです。見て思ったこと、感じたことは一人ひとりちがっていても、現地を見たという事実は重いと思います」と語っている。 

 この流れで企画された第2弾が、2013年5月12日におこなわれた福島第二原子力発電所(以下、福島第二原発)の視察である。

 この視察は、5月12日のみの日帰りによる強行軍だった。朝7時に日本出版クラブに集合、8時出発、視察後、クラブ会館に戻ってきたのは夜11時を越していた。その視察を引率した日本出版クラブの事業部部長、和田功氏に伺った話を、以下にまとめた。  

 一行は総勢46名。出版社、業界団体、出版業界紙、地元の書店などの混成団である。団長は筑摩書房の菊池明郎氏。出版社はNHK出版、学陽書房、柏書房、暮しの手帖社、建帛社、講談社、コロナ社、集英社、小学館、筑摩書房、東京ニュース通信社、文藝春秋など。とくに学陽書房からは若い女性を中心に5名が参加した。「この機会にぜひ自分の眼で見ておきたかった」そうである。

 それ以外にも、ジャパンドッグエージェンシー、出版文化産業振興財団、横田洋紙店、高島屋企画本部、玉川高島屋SC等々がメンバーに加わった。

参加者の勇気には感動を覚えた。もし万一にでもあの日と同じ状況になったら、とふと考えなかったわけがない。しかし一瞬そうは思っても、その恐れを、おそらくは内なるなにかで乗り越えたのにちがいない。 

今回のバスツァー企画のおもな目的は、「ペップキッズこおりやま」の訪問と福島第二原発の視察にあった。

「ペップキッズこおりやま」とは、放射能の影響で、外で遊べない子どもたちのため、郡山ペップ子育てネットワークの菊池信太郎医師(理事長)がつくった屋内の遊戯施設である。ヨークベニマルが店舗スペースをつぶして提供してくれたという。平屋で大きさは約500坪。

土を触る機会がないのは教育上好ましくないという観点から設置された公園風砂場、プロがつくって子どもたちに食べてもらうキッチンコーナー、未就学児から小学生までの本、2000冊ほどが揃えられた絵本コーナー、それら以外にも、ランニングコース、エアトラック、サーキット、ボールプールなどで構成されている。

 視察団一行は、ここで施設の見学をしたあと、セミナールームで、菊池医師の「子どもたちの健康問題」をテーマにした講演を聞く。このとき日本出版クラブは、「ペップキッズこおりやま」に本を数十冊寄贈した。 

 ついで原発対策の拠点、Jヴィレッジを経由して福島第二原発に向う。第二原発に着いて防護服に身を固めた一行は、厳重な警備のなか、4班にわかれコース別に所内を視察した。視察の交渉はそう簡単ではなかったが、今回は特別の配慮で実現できたとのこと。第一原発も申し入れたが、安全面から第二原発だけに落ち着いたらしい。

 福島第二原発とはなにか、簡単におさらいしておく。

福島第二原発は、福島県双葉郡楢葉町(敷地の一部は富岡町)にあり、東西に1キロ、南北に1・5キロを占め、敷地面積は約45万坪。東日本大震災の際は、福島第一原発と同様、地震と津波に襲われ、原子炉を冷却する海水ポンプ4基のうち3基が危険状態に陥った。海水ポンプ3基とその電源が水没したのである。

しかし、総延長9キロメートルのケーブルを人力でつなぎ、仮設電源を確保できた結果、事故4日後には全号機の冷温停止を達成、メルトダウンを回避できた。 

そのような第二原発に入り、一行はなにより、東京ドームの何倍もある施設の大きさに圧倒されたという。視察自体は4班にわかれたが、視察する対象は同じものである。最初にスクリーンを使った事前説明を30分ほど受けた。それから 

(1)     研修棟シミュレーター室

(2)    1号機の原子炉建屋南側道路(15・4メートルの防潮堤、非常用ディーゼル発電機《A》給気処理ルー
     外側、海水熱交換機建屋の非常用電源仮設ケーブル)

(3) 1号機の北側海水熱交換機建屋(1階の電源盤、残留熱除去機器冷却系ほか)

(4) 3号機の原子炉建屋(6階の燃料プール、2階の原子炉格納容器) 

という4つを見て回った。

とりわけ印象に残ったのは、事故シミュレーションの実演(研修用)であった。これが東日本大震災の当日とほぼ同じ状況を再現する、迫力あるものだったらしい。研修用の司令室で20人の所員が20分ほど演じた。全電源喪失の真っ暗闇のなか、頼りは機器の発するランプのみ。演ずる人たちがその機器を操作していく。機器の一つひとつに担当はとくに決まっていない。誰もがすべての機器を同じように操作できる体制なのである。

和田氏は、機器類のチェックから、判断、指示命令に至るそのスキルの高さに驚愕したという。また、今度の企画を発案した武田一美専務理事は「かなり恐い状況ということがよくわかった」と当時を振り返っている。 

このときの体験を、講談社の総務局長、菊池俊行氏が、『出版クラブだより』2013年8月1日号に寄稿している。その一節を引く。

 ちょうど発売されたばかりの『文藝春秋』で「今回の(原発)事故では、現場のリーダーには恵まれた」「第一は吉田(所長)がいたからあの程度で済み、第二は増田(所長)だったからあそこで助かった」と評されていた増田尚宏所長以下、発電所幹部のみなさんのご案内で、所内を視察させていただきました。

 所内にはところどころに津波到達レベルを記録するプレートが取り付けられ、津波被害の生々しい痕跡が残っています。使用済み燃料プールや原子炉格納容器内など、通常なかなか入ることができない場所も案内していただきました。 

鮮明な記録である。このあと菊池氏は、原子炉格納容器内の線量が0・02ミリシーベルトだったが、「建屋内のほうが屋外よりも比較的線量が低い」と記し「皮肉なもの」とつづけている。

「なぜ外のほうが線量が高いとわかったのですか」と和田氏に伺うと、郡山駅から歩いた折、公園に設置された計測器を見ると、0・03~0・04ミリシーベルトあったという。このようなこともまた体験として貴重なのだと思わされた。

書協(日本書籍出版協会)からは、専務理事の中町英樹氏が加わった。氏はこのときの体験をこう語っている。

 原発事故の際、危機回避に命を掛けて全力で取り組んだ一人ひとりの思いが、説明やシミュレーションをとおし強く伝わってきました。

書店で参加したのは、唯一、地元郡山の高島書店である。日本出版クラブが被災地に本を送るに当たり、書店の立場から協力、支援をしてきた事情もあり参加したそうだ。その高島書店が最も心配しているのが、子どもたちの健康問題である。幼稚園児は避難しているが、保育園児は親が仕事から離れられないため地元に残っている。その子どもたちが気になって仕方ないとのこと。

日本出版クラブは、福島第二原発で働く職員には娯楽がないと聞き、新広野の単身寮に、時代小説文庫を中心に300冊くらいの本を寄贈した。

東電広報の説明は専門用語が多かったというが、3・11後の現実のひとつを、みずからの眼と体で確認した意味は大きい。今回の視察をつぎに生かすことを含め、日本出版クラブは、福島第二原発の増田前所長を囲む会を3月4日に開催した。

10 思いを未来に向けて 

改めて記しておきたいことがある。東日本大震災当時、被災した書店は心が折れ、店舗も資金もなくなっていた。その書店の状況をみて、日本出版クラブは精神的な支えとなり、また所属出版社も、それぞれの関係と範囲のなかで援助したという。

日本出版クラブ会長の野間省伸氏(講談社社長)は、2013年はじめにこう語っている。

出版界が抱える多くの問題を、書協・雑協・出版クラブが中心となり、出版界の繁栄を戦略的に将来へと結びつけていく大きなビジョンを描き、維持員・加盟各社の皆様とも十二分に協議・検討し、新しい時代にマッチした出版団体の合理的な未来形を模索していきたいと思っています(『出版クラブだより』2013年1月1日号)。 

さらに同氏は、今年の1月1日号においても「日本出版クラブは業界全体の「懸け橋」になっていくべき」と決意を表明した。

こういう話を聞き読みながら、出版業界にもこうした温かい団体があったかと、どこかホッと安心できたのはどうしてだったろう。

踊り場に立つ出版界ではあるが、その拠りどころはいうまでもなく読者にある。日本出版クラブの被災地支援の底流に流れるのは、読者、なかでも少年少女を大事にしたいという思い、いや哲学であると想われた。そのあり方こそが、出版、ひいては社会と世界の未来を開くのだと感じられる。

 これまで述べてきたような日本出版クラブの理念や活動を、幅広く広報しているのが、各氏の発言を引用してきた『出版クラブだより』である。

2013年9月、日本出版クラブは創設60周年を迎えた。テーマは「変わる」である。いま、〝再生〟構想が動き出してもいる。

電子書籍、ネット書店などの動きから変化を求められている現代、被災地支援に全力を注ぎ込んだ日本出版クラブが、その経験を踏まえ、出版業界をどうリードしていくか、その動きを刮目(かつもく)して見つめていきたい。

最後に紹介したいひとつの記事がある。それは、何度か登場している日本出版クラブの専務理事、武田一美氏のものである。氏は、『出版クラブだより』2011年10月1日号の「編集雑記」にこう書いた。 

「私たちは県内の男性としか結婚できない」とは、打ち合わせの席上でジャーナリストの高成田享さんの取材メモにあった福島の女子高生の言葉。私たちの世代の罪は重いと感じた次第。放射能・放射線のキチンとした報道、理解が取り返しのつかない風評被害を阻むと信じている。 

「私たちは県内の男性としか結婚できない」とは、なんという悲惨な思いであろう。こういう事態を招いたのは誰なのか。どこの責任なのか? 必然的に発せられるはずのその問いを、ひとまず抑えた武田氏は、「私たちの世代の罪は重い」と慨嘆(がいたん)する。この箇所を読み、出版界の良心がここにある、と心が震えてしまった。