Web連載4・5月合併号「出版の原点から――日本出版クラブの被災地支援活動(1)」

●Web連載「新・棚は生きている(4・5月合併号)

出版の原点から
日本出版クラブの被災地支援活動(その1)

青田恵一

 

 日本出版クラブをご存じだろうか。 

 日本出版クラブが、東日本大震災のあと、出版界が創設した〈大震災〉出版対策本部の一員として、被災地支援活動をおこなっているという。出版界としてどういう支援をおこなっているのかも、知りたく思ったので、取材に伺い話を聞いた。

1 日本出版クラブとは 

 日本出版クラブは出版業界の一団体である。

業界団体というと、出版社では書協(日本書籍出版協会)と雑協(日本雑誌協会)、取次会社では取協(日本出版取次協会)、書店では日書連(日本書店商業組合連合会)、あと最近、存在感を増している日本出版インフラセンターなどが中核的存在で、日本出版クラブもそのひとつ。業界団体が数多いなか、日本出版クラブはどういう役割を果たしているのか。 

最初にこの点をおたずねした。

 専務理事の武田一美氏によると、日本出版クラブは「緩やかな、出版界唯一の親睦団体」であり、したがってなにより、出版業界各社の「相互理解」と「出版界の繁栄」が目的になる。そもそもは、戦後、出版界がふたつの流れになったとき、業界が分裂するのではなく、ひとつの存在として、自由に議論できる場が必要ということで、1953年に発足した。

 それぞれの業界団体の内部では、利害が一致しにくい場合も多々ある。そんなとき、日本出版クラブは出版社400社近くと主要な取次会社、それに日書連が参加メンバー(維持員社)ということから、あるいは対立する顔ぶれが一堂に揃う機会も多く、自然な形で、問題や解決策を話し合える。その際、日本出版クラブは、業界内の「潤滑油」という機能を発揮するとのこと。それを聞き、確かにこういう存在がないと、出版は、ビジネスだけのギスギスした関係になってしまうかもしれない、とそう思わされた。 

 日本出版クラブ会館は神楽坂にある。同じ場所には、先ほどの書協、日本出版インフラセンターなどもあり、問題が発生したら、速攻解決も不可能ではない。つまり、その意味では、出版界がひとつであることの象徴が、日本出版クラブであり、クラブが運営するこの会館ともいえよう。

 日本出版クラブの事業としては、会館事業(事務所や会議室の貸与事業、レストラン・宴会事業)と、文化・研修事業のふたつがあげられる。会館事業で収益の4分の3を占め、残り収益の4分の1が文化・研修事業、維持員費となる。

 日本出版クラブ、3大イベントのひとつ――新年の名刺交換会は会館全館を使って実施される。 

2011年6月、日本出版クラブの新会長に就いた野間省伸氏(講談社社長)は、当クラブの役割をふたつ示している(『出版クラブだより』2011年8月1日号)。 

(1) 日本出版クラブの積極的活用によるさらなる親睦の深化
(2) 出版業界全体による横断的事業の企画と実施
  

横断的事業の具体的テーマとしては、読書推進活動、デジタル化、出版界の人材育成という、最重要な3つの課題があげられている。 

2 被災地支援活動の発端  

 冒頭に戻るとこの日本出版クラブは、どのような被災地支援活動をおこなってきたのか。

 発端は震災直後、文科省からの緊急要請であった。「東日本大震災以降、被災地では図書館機能がなくなったため、子どもたちが避難所で呆然としている。その子どもたちが読める本はないだろうか。児童書を中心に3万冊ほど用意してほしい」という内容だった。本を持っていくことで、支援ルートを作りたいというねらいもあったと思われる。

 そこで日本出版クラブ内で当たったところ、当時の日本出版クラブの会長、故野間佐和子氏が3万冊を所蔵していることがわかり、それを文科省職員とともに選別、3月25日には被災地へ運んだ。素早い対応であった。

だがあとで調べたところ、本は被災地各地の倉庫までは移されたが、そのときの状況では、そこから先の確認はしようがなかったそうである。

 この反省から、「つぎは自分たちの力で進めていこう」という方針になった。ヨーロッパには「noblesse oblige ノブレス・オブリージュ(社会的ポジションが高い人間には、それにふさわしい責任や義務が伴うという考え方)」という言葉があるが、出版社のオーナーは、全般的に社会貢献の意識が高く、「新潟県中越地震」や「阪神・淡路大震災」「スマトラ沖地震・津波」の際も、赤十字社に義援金を提供していた。今回も3月18日には、日本出版クラブとして日本赤十字社への義援金の募集を開始した。 

 さて、当面はこう対応したものの、今後の支援をどうするか、方針を定めねばならない段階がきた。

 2011年3月23日、日本出版クラブは、書協、雑協とともに、〈大震災〉出版対策本部(以下、対策本部)を立ち上げ、クラブ副会長の相賀昌宏氏(小学館社長)が3つの基本方針を打ち出した。それが 

書店の販売環境の復活
被災者の読書環境の復活
読者の心の復活を支える出版物の提供
という3方針である。

 このことを、大震災出版対策連絡協議会の広報副委員長である鈴木宣幸氏は、『出版クラブだより』2012年3月1日号に、簡潔にこう記している。 

 「大震災出版対策本部」は、昨年3月11日の大地震発生の翌週、相賀昌宏小学館社長の呼びかけで、急遽発足いたしました。書協、雑協、出版クラブの3団体が中心となり、(1)出版事業を通じた読書環境の復活、(2)図書販売環境の復活、③それらを通じた人々の心の復活――の三つの目標を掲げて活動を開始しました。 

その後の様々な支援活動は、この方針に基づいて実施されていく。 

3 具体的な支援活動 

 支援の具体化に当たり、読者、なかでもとくに児童の重視が示された。この発案は相賀副会長であった。知識も経験もあり自分たちでなんとか対応していく大人とちがい、子どもたちは困難に立ち向かうノウハウがない。ややもすると、衣食住が優先になりがちな大人の前で、とくに東北の子どもたちは「苦しいこともがまんして耐えてしまう傾向が強い(武田氏)」 

 では日本出版クラブ、雑協、書協が設立団体となった出版対策本部は、児童の重視という方針を踏まえつつ、どんな支援活動をおこなったのか。おおまかにいうなら5つあった。本の寄贈、図書カードの贈呈、遺児・孤児に対する図書カードの寄贈、臨時図書館の企画、仮設図書館の設置である。 

 第1は本そのものの寄贈だ。
 南三陸の志津川への3000冊をはじめ、岩手、宮城、福島に、日本出版クラブのかかわった出版社が必要または読んで欲しいと思う本を、合計でなんと18万冊も送った。これは「本当にむちゃくちゃ喜ばれました(事業部の杉山知隆氏)」 

 第2は図書カードの進呈である。
 本は送ったが、それらが本当に読みたいものだったかどうか、被災地で懸命に復興しようとしている書店さんを窮地に追いやっていないか。そう考えたとき、ひらめいたのが図書カードのプレゼントだった。図書カードがあれば、子どもたちも真に読みたいものを選ぶことができる。読む悦びだけでなく、選ぶ楽しさと買うおもしろさ――本についてのこの3つの喜びを子どもたちに体感して欲しい、かつ、そのことが現地での購売につながり、書店の「再生」に少しでも結びついてもらえれば、というのが、対策本部と出版クラブの真意だった。

 その数を紹介すると、2011年に1000円の図書カードを13万2500枚、2012年には500円のカードを12万8500枚、合わせて1億9千675万円分を、被災3県の教育委員会などに送付した。 

 第3は遺児・孤児に対する図書カードの贈呈である。
 これは、被災3県の震災孤児・遺児1560人に対する、図書カードによる支援プロジェクトである。未就学・小学生には5000円分、中・高校生には1万円分の図書カードを贈呈した。福島では、進学資金の支援や心のケアをおこない援助する団体である「あしなが育英基金」などと連携し実施している。 

 第4は、臨時図書館、「虹のライブラリー」である。
 原発事故で発散する放射能から逃れ、福島県の被災者が東京に避難していた。その家族は、父親が仕事で地元に残っているため、母親と子どもだけになりがちだ。そうなると、避難してきた子どもたちの行き場所が、どうしてもなくなってしまう。

 そういうときは本があると嬉しいのではないか。日本出版クラブの武田専務理事はこう考えた。そして取り壊される予定だった旧赤坂プリンスホテルに仮避難施設があることを知り、その活用を旧知の西武鉄道、プリンスホテルに要請した。

 ここに、絵本・児童書を中心に5000冊を揃え、少年少女たちに読書の広場を用意する。それに加え、読み聞かせとか「アンパンマン」の声優たちが来訪してのイベントもおこなった。期間は5月14日から6月29日までの1ヶ月半。この間、神奈川大学の学生ボランティアが、精いっぱい応援してくれた。日本出版クラブで、実働部隊として全体の指揮に当たったのは、事業部の杉山氏である。

 この記事が、『出版クラブだより』(日本出版クラブ)2011年8月1日号に載っている。ここで杉山氏は、神奈川大学の学生たちを「同志」と表現し、感謝の意を表している。

 同じく『出版クラブだより』の2011年8月1日号にはこんな記録が残っている。 

『虹のライブラリー』の命名は、出版クラブとパートナーシップをとり、当初より震災支援に渾身のボランティア活動を続け、当ライブラリーの設営・運営に携わった神奈川大学法学部・藤本ゼミ(藤本俊明先生以下学生100名)によっておこなわれた。その命名には、「震災で見えにくくなった未来に明るい橋をかけたい」そんな学生たちの願いが込められていた(p8)。 

 さらに12月には、旧赤坂プリンスに視察に来られた、当事、東京都副知事だった猪瀬直樹氏の要請で、江東区東雲(しののめ)の公務員宿舎に、出版社からの寄贈本2000冊を収めた読書スペース、「虹のライブラリー 東雲」を開設、現在に至る。 

 第5は陸前高田市の仮設子ども図書館「にじのライブラリー」である。

 津波により、街の中心部が壊滅的な被害を受けた陸前高田市では、2万人が被災した。そのなかには、営業に来ていた講談社グループの社員もいた。2011年11月、その陸前高田市の高台――津波ですべて流され、樹齢800年の「天神の大杉」だけが残ったという、今泉天満宮の境内に、三井物産の協力を得て、木造による約33坪の仮設図書館「にじのライブラリー」を開設した(対策本部と、日本ペンクラブ・JPIC《出版文化産業振興財団》・JBBY《日本国際児童図書評議会》・日本出版クラブが構成する「〈あしたの本〉プロジェクト」の共同事業)。本は、赤坂の「虹のライブラリー」で使った5000冊を中心に他を加えたという。  

これら5つ以外に、日本出版クラブだけでも、雑誌社や出版界全体の義援金を日本赤十字社に寄託、「第50回全出版人大会」の収益金を日書連に寄付、また対策本部としても、中長期にわたる支援を支える復興基金(大震災出版復興基金)の創設、フリーペーパー「読書復興新聞」の発行、書店店頭における募金箱の設置、復興支援シンポジウムの開催等々を実施してきた。 

支援活動の一部については、報道で知っていた。が、改めてその全体像がわかると、「なにはともあれ、すごい! こんなにいろいろ取り組んでいたのか」という驚きの感想が自然に湧き起こってきた。日本出版クラブをはじめ、出版界が挑んだ支援の全体像というのは、もっともっと知られていい。いや、知られなくてはならない。

『出版クラブだより』2013年3月1日号で、講談社取締役で対策本部の大竹深夫氏は、 

対策本部に寄せられた寄贈図書は17万冊、復興基金に寄せられた総額は2億7千3百万円にのぼります。皆様から寄せられた基金はこれまでに2億3千4百万円を使用させていただき、現在の基金残高は3千9百万円となっています(2013年1月末日現在) 

と記し、支援の全貌をコンパクトに報告、また「被災地(者)の復興状況に沿った個々のニーズに応えていくことも大事」として今後の取り組み予定を発表、合わせて復興基金への協力を要請している。こちらもご参照いただきたい。

                                (次回につづく)