<日本における韓国文学書の翻訳出版——刊行状況と課題をめぐって>

舘野 晳 (日本出版文化国際交流会理事)     

1.刊行状況

(1)文献目録

 日本で翻訳出版された韓国文学書の歴史をたどるには、任展慧『日本における朝鮮人の文学の歴史』(法政大学出版局、1994)が、最もよい手引きになるだろう。巻末に「1945年以前の日本における朝鮮人の文学年表」が収められており、「詩」「小説・戯曲」「評論・随筆」の各ジャンルについて、1883年から1945年までに、日本で(日本語で)発表された広義の韓国文学作品に関する「作品名、作者、掲載紙・誌、書名、発行元」が明らかにされている。

 この年表をみると、たとえば1940年の「小説・戯曲」の項には「『朝鮮文学選集』3巻(赤塚書房刊行)」と記述されている。だが、この記載だけではこの選集に収録された作品名、作家名、訳者名を知ることができない。それがこの年表の惜しまれる点であるが、この緻密で根気の要る作業を成し遂げた著者の功績は大きい。
 さらに1945年以降の目録としては、李光鎬編『韓国の近現代文学』(法政大学出版会、2001)に収録された「韓国文学関連日本語文献一覧」(三枝寿勝作成)が便利である。ただ、これは記載が2000年までで、その後の10年間は空白になっていること、若干の遺漏部分のあることが惜しまれる。
 管見のかぎり、これらの資料や独自の調査に基づき、日本における韓国の文学図書の刊行状況を本格的に分析・論究したものは、任展慧の前掲書収録論文を除いてはまだ無いようである。

 (2)北朝鮮作品が先鞭をきる(1945~72年)
 1945年以降の刊行状況と、その特徴を概括してみると、65年頃までのほぼ20年間は、「北朝鮮」系作家の作品が翻訳出版されている。その数は決して多いとはいえないが、李箕永『蘇える大地』(51)、韓雪野『大同江』(55)、韓雪野『歴史』(60)、李箕永『故郷』(60)、韓雪野『黄昏』(60)、『三人の青年——現代朝鮮小説集』(60)、石潤基『戦士たち』(64)、黄健『ケマ高原』(65)など、主要作家の代表作品が紹介された。
 他方、韓国側の作品紹介は皆無に近い状態だった。当時の日本の一般的な朝鮮半島認識としては、北朝鮮は日本の植民地支配や朝鮮戦争による国土破壊にもめげずに、社会主義建設に邁進する国、経済発展の目覚ましい国として称賛の対象になっていた。これに対し韓国は、軍事独裁下の強権が支配する政経癒着の国というものであり、多くの住民は生活貧困にあえぎ、将来に希望を見出せない絶望的な状況が印象づけられていた。
 したがって韓国文学についても、紹介に値する作品は存在しないという認識が支配的で、その紹介もごく限られていたのである。また、当時の日本では、韓国文学に関する情報が決定的に不足しており、韓国語を読むことができ、さらに文学を理解できる日本人はほとんどいなかった。だから文学作品の紹介や翻訳となると、つい朝鮮総連系の文化人に頼らざるを得なかった。だから作品紹介にも偏りが生じてしまったのである。
 けれども韓国人が書いた手記が翻訳出版され、日本で大きな反響を呼び起こしたことがあった。65年に刊行された『ユンボギの日記』である。この手記は感動的な内容で、ユンボギ少年がさまざまな困難に立ち向かう、そのひたむきさが読者の心をがっちりとつかんだ。だが結果的には、韓国社会の貧しさと生活苦を強く印象づけることで終わり、日本人の韓国認識の転換を促すことにはならなかった。
 もうひとつ、この時期の出版物として忘れてはならないのが、藤原てい『流れる星は生きている』(韓国版タイトルは『私が越えた38線』)である。原書は日比谷出版社から49年5月に刊行され、韓国では同年11月に、首都文化社から翻訳刊行された。この本は著者の旧満州からのきびしい引き揚げ体験を綴ったもので、「文学作品」ではないが、当時の出版界において、日韓両国で同時にベストセラーになったことからも注目される。

 (3)日本人による翻訳の開始 (1970~2000年)
 1973年に「朝鮮文学の会」編訳の『現代朝鮮文学選Ⅰ』(Ⅱは74年)が刊行された。この作品集は、日本人が初めて朝鮮半島の文学作品を読み、その内容を判断し、翻訳して編纂した画期的な仕事である。収録作家は南廷賢、趙廷来、崔仁勲、朴順女、金東里、蔡萬植、黄順元から、李泰俊、朴泰遠らの越北作家や中国在住の金学鉄の作品まで含まれている。収録は2巻を合わせて27篇だった。
 これを契機に韓国の文学作品が相次いで翻訳刊行されるようになる。崔仁勲『広場』(78)、李清俊『書かれざる自叙伝』(78)、『趙世凞小品集』(80)、尹興吉『黄昏の家』(80)、金東里『巫女・乙火』(82)、朴景利『土地』(8巻、未完結、83~86)などである。
 また短編作品集としても、金素雲編訳『現代韓国文学選集』(4巻、73~76)を手始めに、李丞玉編訳『現代韓国小説選』(3巻、78〜85)、古山高麗雄編『韓国現代文学13人集』(81)、大村益夫ほか編訳『朝鮮短篇小説選』(2冊、84)、中上健次編『韓国現代短編小説』(85)、大村益夫ほか編訳『韓国短編小説選』(88)、李丞玉ほか監修『朝鮮文学選(Ⅰ)解放前篇』(90)、姜尚求編訳『韓国の現代文学』(5巻、92)、めんどりの会編訳『ガラスの番人——韓国女性作家短篇集』(94)、ほんやくの会編訳『冬の幻——韓国女性作家作品集』(95)と、続けざまに刊行されている。
 これらの作品集に収録されたことで、韓国の近現代の文学作品がやっと日本人読者に知られるようになった。韓国文学史に残る作品が、当該作家の代表作ではなくても、少なくとも1編以上はこれらの作品集に収録されているからである。ただ、紙幅の関係からか、長編よりも短編小説の比重が大きくなっているが、それはやむを得ないことだろう。さらに惜しまれるのは、これらの作品集が今では一部を除くと、書店で購入できなくなっていることだ。新規読者は図書館で借り受けるしかない状態になっている。
 日本で韓国人作家の個人全集(選集)が刊行されたことはあるのだろうか? 希有の例であるが出ているのだ。それが『金史良全集』(73〜74)である。植民地時代の日本で、日本語で発表した作品を含む4巻の全集が河出書房新社から刊行されている。だがこれも今では購入できないし、その後の作品発掘もあったので、「全集」と言うのははばかれる。
 この時期に、詩人「金芝河ブーム」が起こったことも忘れてはならない。詩集・評論集などが、じつに11冊あまりが71~76年の5年間に刊行された。詩人金芝河が投獄され、法廷で裁かれたことも、メディアが克明に報道し、軍事政権に抵抗する詩人のイメージは日本人の心に強く残った。いま中年以上の日本人に、知っている韓国の文学者の名前を訊ねると、第一に金芝河の名前が挙がるのは、この時期の新聞や雑誌、さらに単行本になって多くの人々の目に触れる機会が多かったからである。
 さらにこの時期には、韓国文学作品の紹介の幅が広がり多様化したことを指摘しておきたい。韓国に関する各分野にわたる情報が豊富になり、人と物資の往来が盛んになったことの反映だろう。軍事政権の退陣、社会全般にわたる民主化の進展、ソウルオリンピックの開催も、日本人が韓国に親近感を寄せるきっかけになった。
 韓国で大衆的な人気を得ていた金洪信の『人間市場』(86)、『日本上陸——続人間市場』(88)、金辰明の『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』(94)、チャン・ジョンイルの『アダムが目覚めるとき』(92)なども登場したが、売上げの点でヒットしたのは、馬光洙『楽しいサラ』(94)だった。韓国で発禁、著者は逮捕というニュースが伝えられたため、日本社会でも話題の本になったからである。
 いま日本の大型書店に行くと、韓国映画やテレビドラマの原作、シナリオ、ノベライズものなどが単行本として多数陳列されている。これらをすべて「文学作品」とみなすことはできないが、日本人の韓国文化・文学への接近に一定の役割を果たしたことは疑いないだろう。
 そのような意味で李清俊『風の丘を越えてー西便制』(94)の出版は、後年の賑わいの口火と言えるものだった。『西便制』は日本市場でヒットした韓国映画の第1号であり、映画に続いて原作が翻訳発売されたのも、これが最初だったからである。その後はいま書店の店頭で見かけるように、「まず映画・ドラマありき」の状態が続いている。
 最後に、この時期に刊行された見落とせない文学作品を挙げておこう。沈薰『常緑樹』(81)、李光洙『有情』(83)、黄晳暎『客地ほか五篇』(86)、『武器の影』(89)、『張吉山(1~3)』(94~96)、高銀『華厳経』(95)、金源一『冬の谷間』(96)、趙廷来『太白山脈』(99〜2000)。

 (4)模索が続く韓国文学の紹介 (2000年以降)
  厳密に年次を限定することはできないが、ワールドカップの共同開催(02年)と、ドラマ『冬のソナタ』の放映開始(04)が、日本人の韓国認識を大きく変えた。もちろんまだ解決すべき課題は山積しているが、市民レベルで語り合う共通の基盤は形成されたとみていいだろう。
 文学作品の紹介状況に話を移してみると、日本→韓国については大きな潮流が形成され、それは現在も続いている。だが韓国→日本となると、映画、ドラマ、アニメなどの「韓流」のような力強い動きは見られない。この時期に刊行された主な韓国文学作品を概括すると次の通りである。
 まず、平凡社「朝鮮近代文学選集」の第1期が完結した。李光洙『無情』(05)、姜敬愛『人間問題』(06)、『短編小説集』(14篇、06)、蔡萬植『太平天下』(09)の4巻である。久しぶりに本格的な選集だから第2期の刊行が待たれる。黄晳暎は3点で『懐かしの庭』(02)、『客人』(04)、『パリデギ』(08)と最近作が紹介された。短編集もいくつかあり、三枝寿勝他訳『現代韓国短篇選(上下)』(02)は、中堅・新鋭作家の作品を13篇、安宇植編訳『6 stories』(02)は女性作家の6篇、加藤建二編訳『郭公の故郷』(03)は6篇、朴杓禮編訳『韓国女性作家短編集』(04)は6篇、猪飼野で선우회作品を読む会編訳『火花』は6篇、金京子編訳『秘密の花園』(05)は8篇、安宇植編訳『いま、私たちの隣に誰がいるのか』(07)は7篇の短編小説をそれぞれ収録している。収録数の合計は53篇になるから、決して少ない数ではない。
 人気作家の孔枝泳の作品は、まず『サイの角のようにひとりで行け』(98)が出てから、『愛のあとにくるもの』(06)、『私たちの幸せな時間』(07)、『楽しい私の家』(10)と続いている。一方、申京淑は『或る失踪』(97)、『離れ部屋』(05)、津島佑子との往復書簡『山のある家 井戸のある家』(07)がある。朴婉緒は『結婚』(92)、『新女性を生きよ』(99)。李浩哲は『南のひと北のひと』(2000)、『板門店』(09)。金勲は『孤将』(05)。李文烈は『ひとの子』(96)、『皇帝のために』(99)。徐永恩は『遠いあなた』(05)などが刊行された。1930年代を代表する朴泰遠『川辺の風景』(05)、蔡萬植『濁流』(99)も、ようやく日本語で読めるようになった。
  身近な08年~10年については、全翻訳刊行作品のリストを掲げておこう。08年→14点、09年→13点、10年(10月末現在)→10点。これがこの3年の刊行実績である。あまりにも少ないことに驚かれるかもしれないが、『出版年鑑』やその他の資料から収集した数字である。年間8万点を超える新刊書のなかで、年間10〜14点程度の刊行にとどまっているのが現状なのだ。

 [08年]小説=洪錫中『ファン・ジニ』、宋基淑『光州の五月』、黄晳暎『パリデギ』、金英夏『阿娘はなぜ』、朴賢旭『もうひとり夫が欲しい』、チョン・ギョンニン『ファン・ジニ』、安秉道『太王四神記』。詩・評論など=『時間の瞳孔——朴柱澤詩集』、崔元植『東アジア文学空間の創造』、丁奇珠『韓国と西洋——フランス思想・文学の受容とその影響』、法頂『清く香しく』、柳宗塙『僕の解放前後』、崔常植『韓国の民話伝説』(東方出版)、『韓国女流随筆選』(東京文芸社)。
 [09年]小説=金英夏『光の帝国』、蔡萬植『太平天下』(平凡社)、李浩哲『板門店』、韓水山『軍艦島』、孫錫春『美しい家』、金聖鐘『最後の証人』、李垠『美術館の鼠』、イ・ジョンミョン『風の絵師』。詩など=済州島詩人選『風と石と菜の花と』、『金洙暎全詩集』、宋友恵『尹東柱評伝——空と風と星の詩人』、徐居正『太平閑話滑稽伝』、ノ・ヒギョン『いま愛していない人、全員有罪』。
 [10年]小説=オ・ジョンヒ『夜のゲーム』、孔枝泳『楽しい私の家』、洪盛源『されど』、李清俊『隠れた指・虫物語』、李清俊『あなたたちの天国』、キム・ドンソン『汶矣島』、白栄玉『スタイル』、申翰均『神の器』、ウォン・テヨン『悲しみよりもっと悲しい物語』、許均『洪吉童伝』、『韓国古典文学の愉しみ』。

 参考までに挙げておくと、韓国における日本の文学書の翻訳刊行点数(大韓出版文化協会発表)は、09年は886点である。08年は837点だったから、09年が異常値になったわけではない。この数年の韓国での「日本文学ブーム」を裏付けるものである。
 この両国の大きな数字の開きをどう考えるべきなのか。いよいよ本稿の結論部分に到達したようだ。次に私なりに考えていることを、いくつか述べてみよう。

 2.問題点と改善の方向

(1)当面する問題点 
 第1に、これまでの日本での韓国の文学書の紹介のされ方は、韓国文学の全体像を知ったうえで、紹介すべき作品を順次刊行していくというよりも、無原則的に売れそうだからとの判断に立ち、刊行したケースが多いように思われる。映画やドラマ関連の作品なら、それも一つの方法であるが、さらに慎重な内容検討が必要なのではないか。商業出版である以上、もちろん「売れる」ことは欠かせない条件だろう。けれども「売る」ための工夫をあまりせずに、漫然と「韓国での評判」に頼ってしまうことには賛成できない。
 第2に、日本側の出版企画者や編集者の知識能力の不足の問題がある。一般的に彼らは韓国文学についての、知識の持ち合わせがなく関心も持っていない。韓国で評判の文学書であっても、日本の読者には合わない、読まれるはずはないと思い込んでいる。したがってどうしても、積極的に取り組もうという意欲に欠けるのである。これには言葉の問題もある。現役の出版企画者や編集者で韓国語ができて、韓国文学を理解できる者は、在日僑胞を含めても、日本国内にせいぜい10人程度だろう。
 第3に、情報伝達の問題である。韓国の出版情報がきちんと出版の現場に伝達されていないのだ。韓国でどんな作品が評判になっているのか、注目すべき作家は誰なのか、近現代の優れた作品で、これまで紹介されていない作品は何なのかなどの情報は、ほとんど伝わっていない。ときおり出版エージェンシーが情報を流すこともあるが、あまり効果を挙げてはいない。
 私事で恐縮であるが、私は『出版ニュース』誌に、毎月1回、「韓国出版情報」を寄稿して21年目になる。だがこの間、私に韓国の出版事情について照会してきた出版社、とりわけ出版企画に関しては皆無に近い状態だった。
  第4に、韓日両国の中間に位置し、相互の出版活動をみすえて情報を提供し、適切な助言やサポートをする人物(機関)が少ないことである。これは出版エージェンシーの業務と重なる部分はあるが、基本的には客観的な立場で、金銭を目的とはしない点が異なっている。文化交流の一環としての両国の出版に対して、尽力する人材(機関)を確保し、支えていく態勢を築いていかねばならない。
 第5に、韓国の出版社側の情報提供への協力体制の問題である。提供される出版情報は、日本の出版社側が知りたいことを、適切に答えてくれるとは限らない。出版社の対応にかなりの温度差があるのだ。馴染みのエージェントでなければ、一切取り合わない出版社もある。翻訳出版権の販売は各出版社にとって大切な収入源のはずだ。きちんとした対応をしないと、折角の収入のチャンスを失ってしまうかもしれない。

 (2)課題と対策  
 映画・テレビドラマ・Kポップスなど、「韓流」は日本市場で確かな位置を確保したようだ。多少の当たり外れはあっても、当初から無視されるような状態ではなくなった。ところが出版物の場合は、その段階までまだまだ達していない。日本の出版界側に「韓国ものは難しい」という思い込みが支配的なのだ。
 なぜそうなのか。前項で指摘したような問題点が存在するからである。これらについては、早急に対応策を整えていかねばならない。けれども基本的に必要なことは、双方が韓国コンテンツの魅力を「伝える」(韓国)、「知る」(日本)ための努力をさらに重ねることだろう。ソウル・東京図書展の開催、韓国出版文化協会と日本書籍協会の交流、PAJU国際フォーラム、アジア出版人会議、大学出版部の国際交流など、韓国と日本の出版関係者が相互交流する場はあるが、その場の行事をするだけで終わっている傾向が強い。
 これらのイベントを契機に、相互に必要とする情報を定期的に交換し、出版企画に反映させるようになることが望まれる。出版社同士、個別交流をしているケースはあっても、集団でまとまったものを提供しあっているケースはないからだ。いくつか提案をしてみたい。
 第1、推薦図書の選定である。ソウル・東京の図書展などで、両国の出版界が「お勧め100点」などと銘打ち、翻訳推薦図書を対象国向けに厳選し、選定理由なども添えてブースに展示したらどうだろうか。選定理由はありきたりの説明文ではなく、相手国の出版事情に通じた専門家に依頼するのである。図書展での展示に先立って興味を示しそうな出版社に連絡しておくことも必要だろう。
 第2、出版支援に関する共同パンフレットの作成である。これまで日本で刊行された韓国文学書の場合、韓国文学翻訳院、大山文化財団、韓国国際交流基金、日本国際交流基金などの支援を得たものが、かなり多くを占めている。個別の案内資料を用意しているのだが、これとは別に共同バンフを作り、出版社に配布するようにしたらどうだろうか。個々で呼びかけるよりも、共同でするほうが効率的だからである。
 第3、韓国図書目録の作成である。ただ書名などを網羅的に並べるのではなく、細かなジャンル分けをし、日本市場への適応度が高いと判断される図書を選び出し、高いものから順にグループ分けするのである。これにはかなり専門的な識見をもつ方の協力を仰がねばならない。 
 第4、韓国図書を常備する場所を作る。日本でまだ翻訳刊行されていない書籍が中心になるが、書籍の提供は韓国の出版社またはエージェンシーにお願いする。利用資格(会員)は登録した出版社と翻訳家とする。会員相互の情報交換の場にもなるだろう。この試みは(財)出版クラブ(神楽坂)が、英文図書について実施しており、まずまずの成果を挙げている。これを韓国図書についても試みたらどうだろうか。
 第5、韓国文学書を宣伝する機会を数多く作ることである。韓国文学の魅力を日本の読者に伝えるために、著者の講演会、サイン会など、趣向を凝らした催しを開く必要があるだろう。幸い韓国の作家たちはとても協力的で、来日する機会も多いようだ。作家との出会いの場をもっと多く作っていきたい。
 韓国映画やテレビドラマは、いまかなりの成績を上げているが、最初は日本市場では難しいという意見が大勢を占めていた。何度も試行錯誤を重ねた末に、現在のように市民権を得るに至ったのである。それでもすべての作品が成功しているわけではない。むしろヒットしないケースのほうが多いくらいなのだ。ヒットすると、マスコミに登場する機会が増えるので、つい韓国物は当たると思い込んでしまうが、実際はとてもきびしい世界なのである。
 「韓国文学」について言うなら、まだ紹介される機会が多くはないだけに、読者側は作品のダイナミズム、人間関係の面白さを発見するまでに至っていないのではないか。年間10点ではあまりにも少なすぎるのだ。
 30点、50点と増えていけば、しだいに目に触れる機会も増えてくるだろう。現に昨年末に刊行された韓水山『軍艦島』は、徴用労働者の炭鉱での過酷な労働を扱った重い内容だったにもかかわらず、すでに3刷を重ねている。 今後、さらに出版環境を整備し、読者拡大のキャンペーンを繰り広げていけば、文学書だけで年間30点の刊行は十分可能と思われる。それは日本の読者に対して「韓国文学」、ひいては韓国文化の新たな認識を迫る、意義深いチャレンジになるものと思われる。
  (初出誌:『韓国文学飜訳院からの依頼原稿』、2010年10月)  

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