出版物の推定販売金額の推移

出版科学研究所のデータによれば、2009年の取次ルートを経由した出版物の推定販売金額は、1兆9336億円と前年より4.1%減少、21年ぶりの2兆円割れとなった(出所:『出版月報2010/01』)。  

内訳は、書籍が前年比4.4%減の8492億円。雑誌は3.9%減の1兆864億円。雑誌の落込みは98年から連続12年のマイナス成長となった。

書籍は、村上春樹さんの『1Q84(Book1.2)』(新潮社、2巻合計224万部)『読めそうで読めない漢字間違いやすい漢字』(二見書房、年間106万部累計114万部)とミリオンセラーが二点のみとなった。

前年が『ハリーポッター』シリーズ最終巻や血液型本のブームなどでミリオンセラーが7点あったのに比べ話題作が出なかったといえる。
03年の『バカの壁』の大ヒット以来の低価格の教養新書・ケータイ小説・文庫などにややかげりが見えてきた。

 雑誌は、月刊誌が8445億円、3.2%減、週刊誌が2419億円、6.1%減と週刊誌の落ち込みが大きかった。広告減と合わせで考えると、よりいっそう厳しいといえる。

中小書店の減少やCVSでの販売不振、インターネットなどの影響で、長期凋落が続いている。改めて「雑誌のあり方」が問われており、雑誌の再生が業界あげてのテーマとなっている。

1960年代から1975年までは2桁成長、1976年から1996年までは1桁成長、98年からマイナス成長となっている。出版の推定売上が1兆円を突破したのが1976年、2兆円を突破したのが1989年のことである。

1976年に、雑誌の売上げが書籍の売上げを追い越し「雑高書低」となり、雑誌が、出版産業の成長の推進力となった。80年代の10年間の成長率は40.4%、90年代の10年間の成長率は、わずかに5.1%で、2009年の推定売上は、1988年の水準まで、落ち込んだことになる。

 


書籍の推定販売部数の推移

下図は、出版科学研究所のデータ「取次ルートを経由した出版物の推定販売部数の推移」を基に、09年までの「書籍の推定販売部数」をグラフ化したものである(出所:『出版指標年報』)。  

グラフで見るように、推定販売金額で見れば、1996年の2兆6563億円がピークで、書籍の販売金額のピークは、1兆1692億円であるが、書籍の推定販売部数で見ると、1988年の9億4349万冊がピークで、2009年は、7億1781万冊(4.5%減)まで減少している。

70年代の10年間には、4億7129万冊から7億6450万冊と62.2%の伸び、80年代の10年間には、7億6360万冊から9億1131万冊と19.3%の伸び、90年代の6年間には、9億0575万冊から9億1531万冊と微増したが、1997年以降はマイナス成長で、冊数で見ると09年は、70年代の水準にまで、落ち込んだことになる。

推定販売金額で見ると、1993年に書籍の売上げが、初めて1兆円を突破したが、96年の1兆900億円がピークで、マイナス成長となり、2009年は8492億円と前年比4.4%減であった。なお、返品率は40.6%、前年比0.5%増であった。 
 

販売冊数のピークと販売金額のピークの時期のずれの一要因は、大型チェーン店の増加による市場在庫の増大が要因と見られる。

本が売れない要因のいくつかに「不況感・携帯電話の通信費増・少子化・新古書店や漫画喫茶の影響・図書館での貸し出し数の増加」さらには「インターネットの影響」などが挙げられている。

そのいずれも要因の一つには違いないが、「自社ルートの開発」や「マーケティング手法の確立」などが求められており、何よりも、「本というメディアが同時代に活きる人々へ、何をどのように伝えようとしているのか」という『出版の原点』が、いま、問われているといえよう。

なお、推定販売部数は、「取次出荷部数-小売店からの返品部数」で算出されている。

 


新刊点数と金額返品率の推移

出版科学研究所のデータによると、2009年の新刊発行点数は78,555点(前年比2.9%増)で再び増加した。うち、取次仕入れ窓口扱いの新刊書は3年連続の増加で60,914点(前年比2.3%増)、注文扱いの出版物は、17,641点、5.3%増(891点増)となっている。  

1日280点近い新刊書が、書店に委託配本されていることになり、新刊点数の増大が、新刊委託の展示期間を縮め、「返品率の増大」の一要因であることは否めないが、書籍返品率の推移を見れば、「新刊点数の増大と返品率の相関関係」は、必ずしもない。

書籍の返品率は、再び増加し、40.6%(金額返品率)となった。返品率が高い水準の「主要因」には、委託制度下における取次―書店間の取引条件が強く反映していると思われる。

一般に新刊委託品は、「出版社・取次間で6ヶ月、取次・書店間で4ヶ月」であるが、委託品に対する取次からの書店に対する請求は、通常、納品の「翌月から100%」行われている。

つまり、日本における「書籍の委託制度」は、「返品条件付の売買契約」であることになり、書店側からすれば、「4ヵ月後に精算される」とはいえ、「過払い」にならないように、「新刊書の返品を急ぐ結果」が、恒常的な「返品率の高さ」の主要因と見られる。

一方、出版社―取次間の委託契約は、6ヶ月間であるが、大手版元を中心に約300社あまりの出版社には、納品の翌月には「一定の条件支払い」が行われており、それがマイナス成長下にも関わらず、「新刊点数の増大を招く」、一要因になっている。

書籍の返品率は、「常備寄託品を含む推定返品金額を推定の出回り金額で割ったもの」、雑誌の返品率は「推定返品金額を推定発行金額で割ったもの」で表されている。

 


出版産業の成長率とGDPの推移

グラフは、出版科学研究所の『出版指標年報』のデータを基に「出版産業の成長率とGDP」の比較をExcelでグラフ化したものである。 

なお、国内総生産GDPは、内閣府「国民経済計算年報」各年版「暦年(名目)」による。70年以前は、国民総生産GNPの暦年(名目)。

出版は、不況に強い産業であると一般に言われているが、全体を通じて感じることは、日本経済の状況を強く反映しており、「不況に特に強い」という状況はない。

1973年の石油ショックの後、出版は、「定価値上げ」の影響もあり、他産業より「不況に強い様相」を示しているが、この10年間で見ると、日本経済の落ち込みより、出版の落ち込みが大きく構造不況の様相を呈している。

雇用環境の悪化、賃金の低下などデフレ不況感が強く、さらにはインターネットの影響など本や雑誌が売れない状況が続いている。 

1972年の「ブック戦争」とは、日書連(日本書店組合連合会)と書協(日本出版書籍協会)との間で、春以来、話し合われていた「正味改定」をめぐる協議が不調に終わり、9月1日から12日までの12日間、日書連の加盟書店で、「一部の出版社の商品を取り扱わない」という出版史上、初の「書店スト」に突入したことをいう。
 

また、1973年の「石油ショック」とは、中東戦争の勃発を契機に、石油規制が行われ、「用紙不足」が異常な状況を呈し、市中では「トイレットペーパーの買占め」まで行われた。

希望する用紙は「手にはいらず」、しかも、「前年の2割から3割5分高」の「出版物の用紙不足」という非常事態に、書協は、「戦時下における用紙統制を思い起こす」と当時の通産大臣に要望書を提出したくらいである。

用紙不足と値上がりという「二重苦」は、結果として、「定価の値上がり」となり、売上の対前年比は、「二桁上がり」と皮肉な結果を示したが、その後の読者の「低価格化思考」に拍車をかけ、現在に至る「長い出版不況」の引き金となった。