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◎ 今月のプログラム
 出版メディアパル

国際交流
第13回国際出版研究フォーラムリポート
出版メディアパル編集長 下村昭夫

韓国出版学会・日本出版学会・中国編輯学会の学術交流

2008年IPA総会に参加して

■  2008年5月11日(日)
 10時30分羽田空港国際線アシアナ航空チェックインカウンターに集合。出国諸手続きの後、OZ1015に搭乗、空路ソウルへ。顔見知りの会員が多い精か、ちょっとした同窓会気分。
参加者16名。13:05東京(羽田)発〜ソウル(金浦)着。

 * 15時25分予定どうり到着。到着ロビーには、文ヨンジュさんなど韓国出版学会の皆さんが出迎え。関西からの2名も無事、合流する。バスにて、エルイ・ホテルへ。チエックイン後、直ちにCOEXグランドモールルームへ移動。

 * 18時、2008IPA大会イブニングレセプション(カクテルパーティ)。
 GRAND BALL ROOM, COEX(各国代表団も入場)。書協からの代表団にも挨拶。会場で、中国代表団のお一人、河南大学の王振鋒(ワン・チョウドウ)教授に再会。旧交を暖める。
 そこからの会話が大変。王先生の中国語を中国の通訳が韓国語へ、その韓国語を韓国の金貞明先生が日本語に通訳。今度は、私の日本語を金先生が韓国語に、その韓国語を中国の通訳が中国語へ翻訳し、初めて、王先生と私の会話が成り立つ。国際フォーラムならでわの雰囲気である。
 中国代表団のリーダーは中国編輯学会の程紹沛(チャン・シャオペイ)さんは、中国編輯学会副会長のお一人、04年の武漢フォーラム以来の再会である。河南大学の新聞伝播学科院長(校長)の李建佛(リ・チョンウェイ)先生も06年の河南フォーラムでお世話になった。

 * 21時、エルイ・ホテルに戻り、2F宴会場にて、韓国出版学会歓迎レセプション。新会長の李正春先生らと交流。前会長の李鐘國先生にも2年ぶりで再会。副会長の夫吉萬さん、事務局長の朴弘載さん、大韓出版文化協会の金基泰さん、韓国出版研究所の白源根さん、尹在浚さんなどとも交流。

■  5月12日
 午前8時30分。エルイ・ホテルロビー集合、COEXグランドモールルームへ移動、IPA(国際出版連合会)開会式に参加。李明博大統領の参加もあり、警備が厳重なのにビックリ。全体会始まる。テーマは「本の道、共存の道」。

 IPA会長/アンア・マリアさんの挨拶、韓国出版文化協会会長などの挨拶に続き、李大統領の挨拶が続く。トルコのノーベル文学賞作家のオーハン・パームクさんの記念講演などが続く。

 その後、4人のパネラーによるパネルディスカションが行われ、日本からは、日本書籍出版協会会長の小峰紀雄さんが「日本の出版物の発行状況と課題」「IT社会と文字・活字文化」「読書推進運動」などの状況を報告した。他の三人は、フランス・メキシコ・アメリカからの報告で、異なる社会状況の中でのさまざまな出版活動の状況が報告された。
 昼食をはさんで、午後からは、四つの分科会が開かれた。
 この日、韓国は、「お釈迦様の誕生日」で祝日(陰暦の4月8日にあたる)。会場のCOEX前に大きなお寺があり、多くの人が参拝に訪れていた。日本流に言うと、小さなお釈迦様の像に「甘茶」をかける姿が印象的であった。ちなみに、韓国では国民の30%がクリスチャン。クリスマスも休日というところが面白い。
 もう一つ、興味を引いた風習があった。会場内に「チョゴリ」を着た案内役の女性がいたが、半分ぐらいの人が、頭にきれいな「帽子」のような被りものをつけていた。聞いてみると、お祝いの時などに被る風習があるそうである。
 会議は、夜の9時まで続き、IPA晩餐会が始まったのが9時半であった。

■  5月13日(水)
 この日は、IPA総会とは別に、本来の目的である「第13回国際出版研究フォーラム」を開催。日中韓3国の出版学会・編輯学会が交互に主催する2年毎のフォーラムが開かれた。
 総合テーマは「デジタルメディア時代の出版と読書」。四つのセッションが設けられ、日本側は、5人の会員が次のテーマの報告した。
  星野 渉さん:「雑誌メディアの低迷とデジタル技術の影響
  植村八潮さん:「出版振興策と著作権法改正論議にみる出版社の役割」
  山本俊明さん:「学術情報のグローバルな流通の現状と課題」
  中町英樹さん:「マーケティングに基づく出版社経営の再生」
  湯浅俊彦さん:「出版メディアのデジタル化の現状と読書の変容」
 この会議でも、中国語の報告を中国の通訳・金菊賢(ジム・ジュザイアン)さんが、韓国語に、その韓国語を文ヨンジュさんと蔡星慧(チェ・ソンヘ)さんが、日本語に翻訳するという重訳方式。国際会議を支える通訳の方々へ、感謝したい。

「第13回国際出版研究フォーラム」参加記念写真

 この日、韓国側の報告者のお一人、金義男先生と再会。金先生は、韓国・圓光大学の放送新聞学科教授。06年10月の「日本フォーラム」には、お嬢さんの多恩ちゃん(当時は小学一年生)を連れての参加。
 その縁もあって、私は、07年5月に圓光大学で開かれた「湖南言論学会国際フォーラム」に招待された。私の報告は「日本におけるマスメディアの現状と課題」であったが、フォーラムとは別に新聞放送学科の特別授業として、学生さんに「日本におけるインターネットの現状」について報告させていただいた経過がある。その折、お嬢さんの「多恩ちゃん」と仲良しになり、ソウルで再会できると願っていたが、今回は先生お一人の参加で、残念ながら、再会は果たせなかった。
 中国側の報告者の一人に意外な人を発見した。06年の「日本フォーラム」のあと、私は、中国・河南大学で開かれた「河南大学国際フォーラム」に王振鋒先生に招待されて参加したが、そのフォーラムで「日本におけるデジタルコンテンツの現状」を報告した。その報告の後「先生一緒にお写真を」と挨拶された何人かの学生さんたちがいた。
 その中のお一人、耿(ゴング・リ・ピング)さんが報告者の一人とした発言した。意外な再会に、その後、彼女の流暢な英語と私の筆談を交えての和製英語の会話が弾んだ。

■  5月14日(木)
 バスでパジュへ。2年ぶりの「パジュ出版団地」である。ソウル郊外1時間ほどで、北の軍事境界線から30キロメートルという位置に坡州(パジュ)という街がある。軍事的な緊張のため、一時、人々の生活から切り離されていた土地に「坡州出版文化情報産業団地」が作られた。
 出版社・印刷会社・流通会社など200社近くがその団地に移り住んで、出版活動を展開している。その広さ、現在進められている二期工事が完成すると、47万坪にもなる。
 その中の大手総合出版社Woongjin社を訪れた。Woongは、韓国語で「熊」ということであった。その熊のイミテーションに導かれる形で、職場に案内にされる。社内は、驚くほど整理整頓されていて「物音」がしない。「静かな環境で恵まれた自然の中で企画が生まれる」という解説に、「そんなことはない」と内心、反発する。私流にいうと、「人と人のコミュニケーションのなかから企画は生まれる」と思っている。
 最初に訪れた06年にも感じたことだが。うらやましいほどの「自然環境」の中で、ゆったりした「職場環境」が保証されているが、ソウルから1時間というハンディが「著者とのコミュニケーションに影響しないのか」疑問である。その環境に住まいを移した働く人々の社会的なインフラも気になるところである。
 次に訪れたのが、韓国最大の出版流通会社「BOOKXEN、ブックセン」である。日本の大手取次並みの設備(1日の出荷量43万冊可能)を誇るが、その稼働率が気になった。
 搬送ラインが半分遊んでおり、7列ある立体倉庫も、半分は「本」以外の家電製品などが積まれている。その背景に韓国の取次ルートのシェアが35%程度と低いことにある。また、もう一つは、パジュへの移転計画が遅れているとも考えられる。
 もう一つ、気になることがある。返品率も、日本並みに「38%」ということであったが、返品本が「縄で括られていた」。また、韓国の書店を覗いてみてビックリしたことに並製本の大半が「小口折(ガンダレ)」であった。日本流に「カバー替えして再出荷」できないことになる。
  返品本のその後は、どうなるのか「聞いてみたい」ところである。
 団地の中に、「アジア出版文化交流センター」がある。出版研究情報・教育施設・公開展示の三つの機能を持ち、ホテル「紙三郷」も併設されている多目的ホールである。将来、出版教育の力を漱ぐとのことであった。ともあれ、「ゆったり」としたリズムで韓国出版界の「夢」をのせたパジュ出版団地は、確実な歩みを刻んでいるのが、印象的であった。
 午後は、北へ30キロ。軍事境界線に向かう。韓河とイムジン河が交錯する地点に軍事境界線はあった。武装した若い軍人にパスポートの提示を求められたあと、バスは、北との最前線に移動した。
 60年代に流行した北の「インジン河」(原名:『臨津江』(リムジン江)という歌が頭を過ぎる。「帰ってきたヨッパライ」で大ヒットしたザ・フォーク・クルセダーズの松山猛さんが歌った歌詞が有名であるが、「イムジン河水清く、とうとうと流る。水鳥自由に行き交う……」と北の自由と繁栄を謳歌した歌だが、その北に「自由と民主主義」が欠如し、人々は日常の生活に苦しんでいる現実が心を痛ませる。だが、その歌の一節が、心に響く「誰が祖国を分けてしまったの」…。
 何時の日か、韓河とイムジン河を「人も自由に行きかう日」が来るの違いない。国が統一された韓国は、「北の負の財産」も抱えることになるに違いない。それでも分断された「国が一つ」になる日を多くの人が待ち望んでいるに違いない。
 重い気持ちを抱えて、バスは再び「IPAの晩餐会会場」へとソウルへの道を引き返した。

■ 5月15日(木)
 今日は、日本出版学会のグループは、IPA総会から離れて「一日自由行動」となった。韓国の書店人と交流する人。印刷工場を見学する人。ブックフェアに駆けつける人。街を散策する人と思いさまざまである。私は、街散策グループの一員になった。バスで東大門広場へ。韓国最大の市場とのことであった。朝、まだ早く、お店はまだ開いていない、喫茶店に入り、モーニング・コーヒーとなった。
 韓国について以来、私のオーダーは「高麗にんじん茶」の愛好者になった。この日、韓国では「チーチャーズ・ディ」ということで、恩師に「赤いバラの花」を贈る風習があるとか。取ってつけたように日本の先生方に「賛意」の挨拶を送った。市場では、韓国海苔を買う人。お人形を探す人、筆箱を買う人とさまざまな楽しみ方をした。中国代表団の買物が凄かった。20人ほどの職場の仲間への「お土産」で手一杯。持ったまま歩けなくて、一度、バスでホテルに戻った。
  残された日本のグループは、地下鉄で南大門市場へ。焼け落ちた「南大門」のテントで覆われた風景に心が痛む。
 南大門市場でも。私は専ら「見るだけ」に徹した。というのも、日本から持ってきた「出版メディアパルの本」を贈呈して空いたスペースは、IPA総会と国際フォーラムで配布された資料ですでにスーツケースに入らない状況であった。サラリーマン時代は、「ネクタイ」の一本でも旅先で買うのを楽しみにしていたが、いまは、そのネクタイも「出かける日」以外は御用なしである。

■ 5月15日(金)
 最終日。韓国出版学会の歓送の昼食まで、仁寺洞散策へ、日本流のいうと青山通りのファッションの街という触れ込みで案内された素敵な街並みを歩きながら、ここでもモーニング・コーヒーとなった。横丁をはいり、素敵な中庭のある喫茶店に案内された、やっと、この街が06年に訪れたとき、平凡社の山本俊雄さんに案内された街であることに気がついた。
 昼食のあと、中国編輯学会から次回「第14回国際出版研究フォーラム」を中国で行いたいとの提案があり、公式行事のすべてが終わった。
 日本代表団は、四川省の大地震への「カンパを募り」、中国編輯学会代表団に被災地への送金を委託した。韓国出版学会の先生方とは、ここでお別れ。 午後帰国のため「金浦空港」へ、中国代表団ともここでお別れ、2年後の再会を誓った。
 一週間にわたる「大行事」を十分な心配りで支えてくれた韓国出版学会の皆さん、ありがとうございました。皆さんとも、2年後に中国フォーラムで再会できることを願っています。

*         *         *

■ 余禄
 韓国出版学会・日本出版学会・中国編輯学会の三国の交流が始まって26年になる。IPA(国際出版連合会)との統一的な交流は初めてのこと。規模も「3カ国・100人規模」から「45カ国・600人」の大規模となった。毎晩、開催された晩餐会のイベントも大サービスであった。韓国の現代音楽あり、古典音楽あり、民俗音楽あり、宮中音楽ありと、まるで「音楽と文化」の夕べであった。
 韓国文化の一端を堪能できた貴重な機会にはなったが、4年後の「第15回国際出版研究会」ではそんなサービスは無論出来ない。
 精一杯の「本と心の交流」を願うばかりである。



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