マルチメディアと出版の近未来


1.4  表現の自由とネチケット

*ネチズンの登場
 かつて、ヨーロッパの国々の市民革命から、新しい近代的国家が形づくられ、市民に因んでシチズンという名が生まれた。現在では、インターネットを通じて自由に自らの情報を発信できることを捉えて、“ネチズン”という言葉さえ生まれた。インターネットを通じて流される情報が世界中を変えることもあるかも知れない。また、その反面、『インターネットはからっぽの洞窟』(クリフォード・ストール著、草思社)と、その情報の低質さに危惧をいだく声もある。

*表現の自由とネチケット
 95年に発足したアメリカの「ガーディアン・エンジェルス」というボランティアや団体では、ネットワーク上に犯罪性のある情報や画像があるかないかをモニターする「サイバー・エンジェルス」と称して監視者の役割を果たしている。
 現在、世界中に1000人以上ものメンバーがいて、週に八時間以上、インターネット上の画面をモニターしている。日本でも、99年2月、民間ボランティアと警察が連携した「日本ガーディアン・エンジェルス」がモニターを開始している。
 しかし、サイバー・エンジェルスが、つねに“正義の見方”と規定するわけにはいかない。憲法が保障している自由は、“何をやってもよい”ということではないし“エロスを楽しむ自由”と同時に“エロスの押し売り”や“セクシャル・ハラスメント(性的いやがらせ)”は、当然、許されないわけだし、プライバシーも保障されなければならない。
 99年3月、警察庁は、増え続けるコンピュータやインターネット犯罪に対して各都道府県警察に対して「ハイテク犯罪室」を設置し、コンピュータネットワークを介在した毒物・薬物などの売買やマルチ商法などに関する情報を把握する「サイバーパトロール」を開始したと伝えられる。
 99年8月13日、盗聴(通信傍受)法が強行採決され、日本の国家権力は、通信の「盗聴自由法」を手に入れたことになる。今後、電話やインターネットを含む「通信の自由」や「プライバシー」が、国家権力により、踏みにじられる危険を多くの人々が危惧している。
 ネット上の暴力やわいせつなどの情報から、子供たちを守るためのフィルタリングソフト(遮断ソフト)が話題になっている。学校関係者などでは好評だとのことだが、機械的な判断での情報遮断では、芸術的な情報も同時にしめ出してしまう恐れがある。
 パソコン通信業者やプロバイダなどで作っている日本電子ネットワーク協議会では「他の会員の誹謗・中傷はしない」「他人のプライバシーに配慮する」「わいせつな画像や文章などを載せない」等の「利用者のルール&マナー集」と禁止行為や違反に対して、事業者が情報を削除するといった「電子ネットワーク運営における倫理綱領」をまとめている。
 ネット上の電子メールの交換は、人と人が顔を合わす&K要のないコミュニケーションといえる。それだけに、今、ネット上では、けんか、デマ、中傷、詐欺、プライバシーの侵害などトラブルが絶えない。ネット上で悪口雑言をまき散らすけんかのことを「フレーム(燃えあがる戦争)」とか「ネットワークハイ」と呼ばれるが、それらの行動に対してネチケット(ネット上のエチケットの意)の確立が叫ばれている。
 また、97年5月には、パソコン通信のフォーラムで「事実無根の中傷で名誉を傷付けられた」とする女性会員の訴えに対し、東京地裁は、「他人の名誉が不当に害されることがないように措置を取る必要がある」とパソコン通信の主宰者とフォーラムの責任者と情報の発信者に対し、“賠償責任”を課した。
 この判決は、ネット上のプライバシーの侵害や中傷に対して“ものの道理”を解く形で保護した点で重要であるが、情報の発信者だけでなく、パソコン通信の運営者側にも、「削除する義務」があるとした点は、意見の分かれるところである。表現の自由は、通信(配送、または流通を含む)の自由なくしては成り立たないし、通信の仲立ちをする業者に対して、その善し悪しを判断≠ウせるとなると、“検閲”の復活になり兼ねない危惧さえ感じられる。
 いずれにしても、ルールを守らずに暴走することにより、インターネットに何らかの規制が設けられるとしたら、自由なメディアの自殺行為に他ならない。
 インターネットは元々、どんな管理機構もない“自由なメディア”として、急速に世界中に発達していったわけであるから、“公共性”を理由に公権力による規制を強化するよりは、「自由に行わせて自然に淘汰する」というコンセンサスとモラルの確立がメディアの発達には重要だといえる。


©1998年/2000年 Shimomura