出版メディアパル(Murapal通信)


新文化連載「出版技術20年の変遷(上)」

 2003年1月から12月まで、「新文化」(第3水曜日発行号)に「出版技術20年の変遷」を連載することになった。このページでは、1月から5月までに掲載された「1980年代の初頭から1995年までの技術の変遷」をご紹介することにする。
出版メディアパル編集長 下 村 昭 夫


(一)ワープロと本づくりの変化(2003年1月16日号)
 日本で最初に「ワープロで作った本」が発行されたのは、一九八一年の十月のことである。以後、二〇年間の「出版における技術革新=情報のデジタル化の進展」は、「本づくり」に大きな変化をもたらした。
 いま、改めて、その軌跡を振り返り、本づくりの変遷を考えてみることも、意義あることと思い、一年間、おつき合いいただくこととなった。月一度の「通信」であるが、お読みいただければ幸いである。

*     *     *

 七〇年代の初め、大手印刷所を中心に大型コンピュータが導入され始め、印刷の技術革新が、本格的に進行し始めた。同時に、それは、活版印刷からオフセット印刷への変化の時代でもあった。
 その当時の印刷界のスローガンに「ホットタイプよさようなら、コールドタイプよこんにちは」とあった。鉛を使う「ホットタイプ」から、電算写植を使う「コールドタイプ=CTS」への変化を言い当てたスローガンであることは、言うまでもない。
 このCTSという用語は、今日では、「コンピュータライズド・タイプセッティング・システム」の略語とされ、文字どおり、電算写植(電算植字)システムのことを意味する。
 その当時の印刷のCTS化との編集者の付き合い方の基本は、「いままでと変わらなければいいよ」という姿勢であり、情報のデジタル化は、印刷側の問題という捉らえ方が、主流であったといえる。
 さて、その意識を根本的に変えてしまう「黒船」として登場してきたのが、「ワープロを使った本づくり」の始まりである。
 八一年の読書週間の話題となった二冊の本がある。山本直三氏の「日本語ワードプロセッサの活用法 ― ワープロで書いたワープロの本」(ビジネス・オーム)と安田寿明氏の「オフィス・オートメーション入門 ― OAをこなす知恵」(講談社)である。
 山本氏の本の帯には、「有力新聞で話題沸騰。わが国初のワープロで書いた本、出現!」とあり、安田氏の本の帯には、「本書は、原稿用紙を使わずにワード・プロセッサとパーソナル・コンピュータで作った日本で最初の本」とある。
 山本氏の本は、「ワープロの出力紙をそのまま版下」として使用しており、安田氏の本は、「フロッーピー入稿された電子原稿」を凸版印刷で電算写植機に掛けられ、写植変換されている。
 手法の違いはあれ、この二冊の本の登場により、その後、「コンピュータを持った編集者たち」が時代を作ることになった。
 今日、電子編集が、当たり前になり、原稿がメールで送稿される時代に、時代を切り開いた「ワープロ専用機」は「パソコンの普及」の前に、既に製造中止となった。



(二)ニューメディアと出版の変化(2003年2月12日号)
 一九八一年の「ワープロの登場」以降の二〇年間の「出版における技術革新=情報のデジタル化の進展」と「本づくり」への影響を考える第二回目は、「ニューメディアの登場」を考えることにしたい。

*     *     *

 ワープロが、「本づくり」に革新的な影響を及ぼし始めた八〇年代の初頭は、職場の中では、OA(オフィスオートメーション)が流行語になり、普通紙複写機(いわゆるコピー機)を始め、オフィスコンピュータ、ワープロ、ファクシミリなどが、職場に導入され始めたのもこの頃である。
 印刷現場では、CTS化が急速に進み、カラースキャナーや版下の自動作成機が導入され始めた。
 出版流通では、コンピュータ配本が当り前になり、自動配送システム(スピーカソータ)なども導入され始めた。
 書店の側では、POS(販売時点情報管理システムム)や電子レジスタの導入の必要性が議論され、コンピュータネットワークを使ったVAN(付加価値通信網)が計画されたのも、この頃である。
 また、本にISBNコードを導入することが決まり、その是非をめぐって議論したのもこの頃であり、同時に再販制をめぐる激しい議論があったのもこの頃である。
 そして、同時に、出版界は、もう一つの「黒船」の到来を受けていた。「ニューメディア時代の始まり」である。
 当時、日本書籍出版協会に設けられた新媒体研究委員会には、「電子出版の流通システムとソフトの開発を研究する」第一分科会、「情報ネットワークシステムの利用について研究する」第二分科会、「新技術による出版製作過程の変化について研究する」第三分科会の三つのワーキンググループが設けられ、第一分科会では、出版社が持っている情報から派生するビデオディスクやビデオテープ、パソコンソフトなどへの利用形態が研究されていた。
 第二分科会では、キャプテンシステム(ビデオテックス)や文字放送、CATV、通信衛星、放送衛星の利用などが研究され、第三分科会では、出版製作過程の変化、とりわけ、CTS、ワープロ、ファクシミリなどの利用形態が研究されていた。
 そして、現場の編集者は、好むと好まざるにかかわらず、ニューテクノロジーの影響を受け、「本づくり」もまた、大きく変化の時代を迎えていた。
 「ニューメディアの登場」は、オールドメディアとしての「本の特徴とその未来」を考えるきっかけとなり、ニューメディアを単に「商品としての出版物の一形態」として捉えるだけでなく、「出版文化や出版産業のあり方」や、「出版に携わる人々の労働のあり方」との係わり合いの中で、「出版文化」を考える基盤となっていった。



(三)マルチメディアと電子出版(2003年3月12日号)
 日本で最初のCD-ROMソフトは一九八五年に出版された三修社の和英独三ヵ国語の『最新科学技術用語辞典』である。続いて八六年には、三修社は、日英独仏伊蘭西に中国を加えた八ヵ国一六冊の辞書を一枚のCD-ROMに収録したマルチ言語の『CD-WORD』を出版し話題を呼ぶ。八七年には、岩波書店から『広辞苑第三版』のCD-ROMが出版され注目された。
 私たちは、コミュニケーション(思想の交換や伝達)の手段として、音声、文字、図形、身振り、手振りを含めたさまざまな方法を用いているが、その情報交換を行う媒体のことを一般にメディアと呼んでいる。したがって、マルチメディアとは「情報を伝達するメディアが多様になっている状態」のことを意味すると言える。
 商品の形としての「電子出版」とは、デジタルされた情報をフロッピー・ディスクやCD-ROM、磁気テープ、光ディスク、DVD、ICカードなどのパッケージ型電子媒体を使って出版することをさす。
これらの電子媒体には、文字や図形あるいは音声の情報を複合して扱える特徴があり、「電子出版」がマルチメディアといわれるゆえんである。
 CD-ROM(コンパクトディスクを利用した読み出し専用メモリー)は、パッケージ型電子メディアの王様として、華々しく登場した。
 CD-ROMは、構造的には音楽用のCDとまったく同じもので、直径一二センチのアルミ盤を一種のプラスチックで表面加工したものである。オーディオ用のCDには、音声の情報が記録されているが、CD-ROMには、音声の他に文字や図形の情報がレーザー光線によってピット(小さなくぼみ)として焼き付けられている。
 CD一枚の記憶容量が開発当時で五四〇メガバイトで、パソコン用のフロッピーの五〇〇倍もの容量を持っていた。音楽で七四分(カラヤン指揮の第九交響曲が一枚のCDに収録されることから一二センチ規格が生まれたというエピソードがある)、文字数で二億七五〇〇万文字ということになり、A4の原稿で二七万ページ、商業新聞の約一年分の情報量に相当することになる(昨今では、圧縮技術の進歩により、収録情報はもっと増大している)。
 CD-ROMは、記憶容量の大きさから、新しい電子メディアとして、さまざまな商品を生み出し、パソコンの普及とともに、開発当時とは、比べ物にならないほど、魅力的な電子メディアとして発展してきたが、電子出版の市場としては、予測されたような規模には発展していない。
 その要因の一つがインターネットの発達であり、今一つは、「あまりにも粗雑なソフト」を雑誌の付録などで提供してきたことにある。「悪貨は良貨を駆逐する」譬えになったが、電子メディアとしてのCD-ROM本来の魅力に変わりがない。



(四)電子ブックと電子本の未来(2003年4月16日号)
 CD-ROMを実際に利用するには、CD-ROMに収録された情報をドライブ(レコードのプレーヤーに相当する)を通じてパソコンに送り、検索用のソフトを使って、パソコンのディスプレイ上に文字や画像を呼び出して使うことになる。
 最近でこそ、パソコンにCD-ROM専用ドライブ内蔵型の機種が当たり前になっているが、開発当時は、パソコンの普及率も悪く、また、CD-ROMドライブはほとんど普及していなかった。
 そこで登場してくるのが、CD-ROM専用のプレーヤーで検索用のソフトやドライブが内蔵されている携帯用のプレーヤーである。電子ブック(EB)と呼ばれるソフトは、その電子ビューアー専用のソフトのことである。
 検索の機能には、「前方一致検索」「後方一致検索」「条件検索」「複合検索」「メニュー検索」「グラフィック検索」「参照検索」などがあり、アクセスの多機能性が、電子ソフトのおもしろさを特徴づけている。
 一般のCD-ROMが直径一二センチのCDを利用するのに対して、電子ブック用のCDは、カートリッジに入れられた直径八センチのミニCDが用いられる。記憶容量で二〇〇MB、一般の英和辞書六冊分の文字量、五時間以上の音声が収録できる。
 一九九〇年にこの電子ビューアーを最初に商品化したのは、ソニーの “データ・ディスクマン” で、マルチメディアタイプのニューフェイスとして、電子ブックが注目を浴びるようになった。CD-ROMの標準規格をベースに検索や操作の方法などの標準化を計り、電子ブック専用の標準規格を確立し、ハードとソフトの互換性を保証している。
 専用プレーヤーの普及も一二〇万台を越え、また、電子ブックの仕様を一二センチCD-ROMドライブに公開したことにより、パソコンユーザーへ電子ブック市場が広がる可能性に期待が持たれていた。
 『広辞苑第三版電子ブック版』(岩波書店)、『現代用語の基礎知識』(自由国民社)、『電子ブック版大辞林』(三省堂)など出版社系のソフトには、自前の優良ソフトである辞典・事典やヒット商品の電子ブック化が目立っていたが、ここ一〜二年、「電子辞書」の普及やインターネットを利用した「Web版辞書」の登場で、市場が停滞し、新しい商品化も鈍り始めた。
 また、日本電子ブックコミッティには、出版社など一〇三社が加盟し、「電子ブック」の普及の努力を積み重ねてきたが、二〇〇〇年四月、その役割を終え解散した。
 今後は、各社、独自の事業展開がその普及の鍵を握ることになるが、iモードでのWeb版辞書の利用や「電子辞書」などへのバンドル商品以外の市場は期待できそうにない。



(五)DTPと本づくりの変化(2003年5月14日号)
 一九八五年に、アメリカのアルダス社(現在は、アドビ社に吸収合併)が、マッキントッシュ版のレイアウトソフト「ページメーカ」を発表したときに “デスク・トップ・パブリッシング” という思想を提唱したのが、DTPの始まりといわれている。
 DTPの誕生は、アップル社が八四年にマッキントッシュ(Mac)にマウス(ネズミのような形をした小さな入力装置)による使い勝手のいいGUI(グラフィカル・ユーザー・インタフェイス)環境を備えたことと、アドビ社が、従来のギザギザ文字のドットプリントから、ページ記述言語としてのポストスクリプトタイプのフォントを発表したことの三つの条件がそろって可能になったといわれている。
 三社の頭文字をとって、通称、トリプルA宣言と呼ばれている。
 これらの条件が整うことにより、パソコン上で、単に文字データが扱えるだけでなく、図版や静止画を含んだイメージ情報全体が、一つのディスプレー(テレビ画面のような表示装置)上で再現することが可能になったわけである。見たままの画像がレーザプリンターを使って、文字も図形も写植並みの版下として得られる機能のことをWYSIWYG(ウィジィ・ウィグ=What you see is what you get)と呼ぶ。
 一九八八年ごろ、日本ではMacに日本語環境が整い、MacDTPはデザイナーなどを中心に普及し始めた。Macだけではなしに、DTP用の組版機としてEDICOLORやWindows系のコンピュータも印刷現場では導入されている。
 一九九六年秋、Windows95の爆発的な普及以後、パソコンの市場は、Windowsの圧勝といえるが、DTPの世界では、Macが今なお主流といえる。
 Macが生まれながらにしてDTPの思想を身につけていたこと、操作性の良さに加えて、ページメーカやクォークエキスプレスなどのレイアウトソフト、写真を処理するフォトショップや線画を処理するイラストレーションなどのソフト環境が、Windowsに比べ優れていた点と、出力ショップなどの周辺環境でも優位に立っていたからである。そして何よりも、MacDTPの基本スキルが、デザイナーや多くの製版所や印刷現場のシステムオペレーターに備わっていたからである。
 しかし、印刷現場や出版・デザインの世界では、DTPはMacシステムが中心とはいえ、ビジネス用の商業データーは圧倒的にWindowsデーターであり、アドビ社の新しい組版ソフト「インデザイン」の登場が契機となり、フォント、出力センターなどの周辺環境の整備に伴い、急速にWindowsDTPが普及するものと予測される。
 ともあれ、いま、DTPなしには、“本づくり” を語ることが出来ないほど、印刷現場も編集現場も変化した。


©2003年 Shimomura