出版メディアパル(Murapal通信)


毎日新聞メディア欄連載「出版ウォッチング」(10月号)

 2003年4月から「毎日新聞のメディア欄」(隔週の火曜日発行号)に「出版ウォッチング」を連載することになった。このページでは、4月以降に掲載された「出版ウォッチング」月ごとにご紹介することにする。
出版メディアパル編集長 下 村 昭 夫

 著者と読者の皆さんの架け橋として本を生み出している出版界の「こぼれ話」を月2回・隔週の火曜日の連載で、ご紹介することとなった。ここでは、10月掲載分をご紹介する。

(13)表現の自由とわいせつ罪 (2003年10月07日号)
 本の後ろに、書名や著者名、発行元などが表記されている「奥付」がある。この奥付、諸外国にはあまり例のない日本独特の習慣である。
 奥付にある書誌情報は、重要な本の履歴(刊行記録)であるが、その奥付には、皮肉な歴史がある。
 1722年(享保7年)、南町奉行大岡越前守による町触れで、「徳川家のことはタブー」とし、「好色本」を禁じたのがその始まりで、取締りのため、「作者並びに板元の実名」を奥付に明記させた。
 後にそれが、1869年(明治2年)、「出版条例」に取入れられ、1887年の改正で、「出版者と印刷者の氏名・住所・印刷年月日」を奥付に表記することを義務付けた。
 さらに1893年、「出版法」となり、納本・検閲制度を導入、治安維持法下の戦争のさなか、思想弾圧の道具となった。
 戦後、出版法の効力は停止され、「言論・出版の自由」「表現の自由」は、憲法で保障され、検閲も禁止された。
 戦後も、出版をめぐる「表現の自由」を取締まるさまざまな規制がなくなったわけではない。刑法175条の「わいせつ罪」での出版物の取締まりもその一つである。
 出版に関するわいせつ罪で、すぐに思い浮かべるのが、「チャタレイ裁判」である。
 1957年3月13日、最高裁は、『チャタレイ夫人の恋人』(伊藤整訳・小宮山書店刊)が、刑法175条の「わいせつ文書」にあたり、「その内容が徒に性欲を興奮または刺激せしめ、且つ普通人の性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する文章である」とした。
 この最高裁判決から、46年が経過、社会通念も変化した。時代に逆行するかのように、「マンガのわいせつ性」が問われている松文館の『密室』を巡る裁判が、いま、東京地裁で争われている。



(14)読書週間と読書世論調査 (2003年10月21日号掲載)
 10月27日から11月9日までの「文化の日」を中心に二週間「読書週間」が開催される。今年の標語は「ありますか? 好きだといえる一冊が…」である。
 読書週間の始まりは、1924年(大正13)のことで、「読書の鼓吹、図書文化の普及と良書の推薦」などを目的に始められたが、1937年(昭和12年)、日中戦争が勃発。読書運動にまで目を光らせた戦時下の39年に「一般週間運動廃止令」に伴い、廃止された。
 戦後は1947年に、「読書の力によって平和な文化国家を作ろう」と、出版界や図書館、文化関連団体、新聞・放送などのマスコミ機関の協力を得て復活され、59年からは、読書推進運動協議会が設立され、今日に至っている。
 戦後の読書週間の運動に呼応して、47年から実施されている「毎日出版文化賞」と「読書世論調査」や53年に始められた「青少年読書感想文全国コンクール」がある。
 読書世論調査は、戦後の混乱期の出版状況を憂いた毎日新聞社が、“悪書が良書を駆逐する”状況を放置すれば、「出版界の損失ばかりでなく、文化国家を目指して出発した日本の前途にも悪影響を及ぼす」と始めたもので、戦後の読書環境と心の軌跡を描く、貴重な調査資料となっている。
 読者の皆さんの本棚の片隅にも、「想い出の本」があるに違いない。
 時には、それは、お母さんに読んでもらった童話であったり、先生が読み聞かせてくれた冒険物語であったり、お誕生日にもらった詩集であったりする。
 この読書週間に、「想い出に残る新しい本」との出会いを願っている。


©2003年 Shimomura