4.1 編集者の新しい課題
*電子編集と新しい課題 “おもしろくて為になる”という講談社流。あるいは“為になっておもしろい”という小学館流のどちらかの視点に立つとしても、本や雑誌というメディア(媒体)を通して、同時代を生きる人々への様々なメッセージを送り届ける“編集”という仕事の中で私たちは生きている。 かつて、文藝春秋を育てあげた池島信平氏は、次のような、編集者の六箇条を私たちに残してくれている。 一、編集者は企画を立てなければならない。 二、編集者は原稿をとらなければならない。 三、編集者は文章を書かなければならない。 四、編集者は校正をする。 五、編集者は座談会を司会しなければならない。 六、編集者は広告を作成しなければならない。 どうやら、現代という時代は、この七番目に「編集者はコンピュータの事が理解できなければならない」という一条が付け加えられそうである。 しかし、このことは、編集者自らが、必ずしも、コンピュータの操作の“達人”であったり、DTPの“達人”であったりすることとはイコールではない。 “どうすれば”コンピュータを駆使したDTP編集(電子編集)ができるのかを、“よく理解”し、編集工程の流れを変えていけば良いだし、“どうすれば”電子メディアに合った“商品開発”ができるのかを“よく理解”すれば、電子メディア向きの商品開発は可能である。 「出版」という意味は「パブリッシング=何かを公表する」という意味で、「編集」という意味は「エディット=何かを生み出す」というのが本来の意味である。 たくさんある情報の中から、たった一つのテーマを選んで、“本”という紙メディアに託して、未来へのメッセージを送り続けるという視点は、電子パピルスになったとしても同じだといえる。 “本”には本の優れた特性があり、電子メディアには“電子メディア”の優れた特性があるわけだから、それぞれの特性を活かした共存共生の時代だといえる。 文字中心の文化の中で仕事を続けてきた私たちは、映像や音楽など“複合化”されたメディアづくりに慣れていかなければなりませんし、映像デザイナや音楽家などとの“著作権”の交渉なども必要になってきている。 元々、編集者は、様々なクリエータと協力して“本づくり”をしてきたといえる。本づくりのコンダクターから、映像や音楽を含んだ”映画”のようなメディアの中での“システムプロジューサ”としての企画立案能力が試されることになっていくのであろう。 |
©1998年/2000年 Shimomura