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出版の現場から

一人出版社 出版メディアパルの舞台裏

小さな出版社の夢と本の未来を考える旅

出版メディアパル編集長 下村昭夫

第二部 一人出版社の夢と現実

■出版社を始める準備
 一人で、出版社を始めるためにいろいろな準備が必要であった。
 編集者歴42年といっても、企業運営は未経験である。最近流行の「一人でも会社が作れる」ではないが、株式会社にすることも、有限会社することもできる。
 しかし、出版メディアパルの場合には、「72歳まで10年間で50冊発行できればよい」という、やや時限会社的位置づけなので、あえて「個人会社」のままでスタートした。
 個人会社では、社会的信頼度がないのが欠点といえるが、どこにも登録の必要もなく、株主を募る必要性もなく、誰にも迷惑をかけずにスタートできる気楽さがあった。
 定年後の「やや道楽的」会社である。50点の「本の旅」を楽しむために、戒めにしていることが二つある。
 一つは、「家計費を持ち出さないこと」。二つ目は、「借金をしないこと」である。
 現在の出版界の現状では、うまくいっても資金回収は半年後ということになる。仮に、退職金1000万円を投資したとしても、5冊も本を出せば、小さな資金はあっという間になくなってしまう。
 幸いなことに、日本エディタースクールの講師依頼や『毎日新聞』メディア欄の連載、『新文化』紙の連載などがあり、初期活動には、十分な資金調達が可能となり、自己資金ゼロの出版メディアパルは、2003年4月に順調に滑り出した。
 出版物を出版流通ルートにのせるためには、まずは、日本図書コード管理センター(〒162-0828東京都新宿区袋町6 日本出版クラブ2F、TEL:03-3267-2301)から、「出版者コード」を取得しなければならない。
 10年計画で50点という出版計画を明示し、6桁の出版者コード「902251」を取得した。この登録料金は1万8000円である。
 次に、書籍JANコード(バーコード)の利用も申請し、この手数料は、売上げ規模によって5段階に分かれているが、Eランク(売上げ規模1億円以下)で申請、3年間の貸与料金1万円を支払った(その貸与期間が切れ、06年9月に更新手続きを取った)。
なお、日本図書コードは、2007年1月から、13桁コードへ移行することになる。そのための協力金(国際分担金)が必要になる。

■取次口座の開設
 最大の難関は、取次口座の開設である。現在の出版流通の現状では、取次(販売会社)との新規取引の開始には、大きな壁がある。
 仮に、大手の取次と新規取引の口座が開設出来たとしても、小規模出版社の取引条件は、極めて悪いのが常識である。
 ある大手取次の「新規取引申請書」が手元にある。「仕入正味65掛」「委託」「7ヶ月後の精算」「35%返品保留」「5%の歩戻し」などとなる。
 これでは、7ヵ月後に代金が入ってきたとしても、返品率40%と想定して、定価換算で50%(ほとんど製作原価に近い)の資金回収がやっとということになり、手持ち資金が豊富でない限り、小部数の専門書の発行には無理がある。
 出版メディアパルの場合には、幸運なことに地方・小出版流通センターのお世話になることができた。
 1976年、地方出版社や小規模出版社の出版物の取次ルートへの流通を保障することを目的に設立された地方・小出版流通センターは、06年で30周年を迎えた。
 現在、1082社の出版社と口座を開設しており、05年には、543社3651点の出版物を出版流通に供給している。買切・注文制を前提に、一定規模の書店には、委託販売もしている。
 直接取引の書店のほかに、トーハン・日販・太洋社・大阪屋・栗田などの大手取次帖合の50社ほどの書店に配本していただいている。
 TRC(図書館流通センター)の役割も大きい。地方・小出版流通センターから太洋社を通じての取引になるが、30週間の見本展示をしていただけ、多いときには120冊、少ないときでも40冊程度の販売実績となる。販売率の実績は、よいときには90%以上、平均で78%を維持している。

■資金の管理
 次に必要になったのが、読者への通信販売による代金回収のための郵便口座の開設であった。
 これは「指定の振込用紙」の製作費など若干の費用が必要であったが、ほとんど、費用がかからなかった。
 この口座は、地方・小出版流通センターからの売上代金の振込みにも使用している。
 同様に、専用の銀行口座も開設する必要があったが、従来から、使用してきた個人口座をそのまま利用することにした。銀行口座は、おもに印刷代金や印税などの支払金の振込みや宅配便の引き落としに利用している。
 この郵便口座と銀行口座に製作費用が貯蓄されたときが、次の書籍の発行時期になる。
 新企画の依頼も、年間の資金調達と整合性を持たせなければならない。いつも綱渡り的な発行になるが今のところ、維持できている。
 地方・小出版流通センターからの注文品と委託品の販売代金の支払予定が明確なので、この点は、計画が立てやすい。

■怠りがちな帳簿記入
 大切なことで、怠りがちなのが費用の帳簿付けである。これは今でも、毎日記帳するという基本が守れなくて、1か月分、大慌てで記帳することになる。
 領収書の管理、支払書の管理、あるいは、収入金の管理などの漏れなく記帳が大変である。
 これを怠ると、税務署への申告書の記入に相当な時間を要することになる。

■頭を悩ます返品と在庫問題
 厄介なのが、返品である。地方・小出版流通センターの取引は買切が原則とはいえ、委託による一定の見計らい送品があるため、一定条件で返品が生じる。
 やっと、注文品の販売額が10万円になったと喜んでいると、段ボール一杯の返品を受領する月が年に3回ほどある。時には、その返品金額が注文品の販売額を上回ることがある。その月は、「赤伝」となり、翌月の販売額から差し引かれることになる。
 返品が資金繰りの悪化につながることもさることながら、返品本の汚れや破損状態を見ると、労働意欲がそがれることになる。片付け作業が後回しになり、ついつい倉庫の隅に積んでおくことになる。
 3年間に発行した出版物は、出版メディアパルシリーズ10点、実務書実務書7点、ビデオ1本になった。その在庫が大問題である。ついに7000部を超えた。
 倉庫にしているのは、自宅に隣接した築35年の木造アパートの一階である。総在庫の重量は、250キログラムを超え、限界に近づいているに違いない。現在、2階は、出版メディアパルの編集室になっている。
 友人たちには、「出版メディアパルが倒産する前に、アパートの床が抜けるに違いない」と冗談を言っているが、それが、あながち「冗談でなくなってきている」現実がある。

■経営実態
 さて、2005年の経営実態をご覧いただくことにしょう。
書籍売上げ328万円、講演料などその他の収入が160万円、総収入が488万円、新刊書6点の本の発行を含む総費用が420万円、とても人件費は出ない。そこが年金生活者の強み、私の給料がゼロなので、かろうじて、黒字といえる。
 しかし、事務所の改築費と「ニューヨークの書店ガイド」の発行を記念してのニューヨークの書店ツアーと上海での「印刷技術と出版教育国際フォーラム」への参加並びに日本出版学会秋季研究集会(岡山)への参加などの特別経費を加えた総費用では、50万円の赤字となる。
 原則に反して、この分は、従来の生活費の貯蓄から補充することになる。 地方・小出版流通センターからの入金は、常備27万円、委託品204万円、注文84万円となっているが、返品額が33万円あり、差し引き税抜き収入は282万円程度であった。金額返品率を計算すると、10.8%ということになる。センターを経由しない直販が26万円程度あった。
 05年の在庫金額は、6000冊で500万円を数えている。06年の新刊書3点を加えると、在庫数は7000冊、在庫金額600万円となる。
 平均発行部数1000部であるが、初回の配本数は、120冊から180冊程度である。常備20冊、注文50冊、委託70冊、これにTRCからの注文40冊程度となるのが、現状である。
 販売実績で500部〜600部で、最初の壁となり、1000部を超える実績の本は、5点しかない。

■販売力の向上が課題
 当然、販売力の向上が課題となる。編集生活は45年になり、本を作ることが生活の一部になっているが、本を売る知恵は、今のところあまりない。
 書店促進も苦手である。ある会合で、EE企画の西川恵美子さんと出会い、6月に初めて、書店促進をお願いした。この10月にも、二点の新刊書の書店促進やFAXでの書店注文促進もお願いしてみた。
 『出版ニュース』や『新文化』への書籍広告の出稿など、小さな努力を積み重ねているが、なかなか実績に結びつかない。
もちろん、販売のプロからみれば、何の販売努力もしていないのと同じなのかもしれない。
 では、出版のマーケッティングには、どのような手法があるのか?編集者でもできる、そんな手法があれば、ぜひ、お教えいただきたいものである。
 当然のことながら、配本数の増大を願うのが、出版社の常であるが、現実は厳しいといえる。返品率の増大は、取次にとっても「命取り」になる。
その安易さを戒めるように、最新の「地方小通信」に地方・小出版流通センターの川上賢一社長が書かれている。
 『注文情報が記号化され、書店の顔が見えないまま、流通倉庫で管理され出庫される本が多くなると、買切ならまだしも、現在の委託制度下では「垂れ流し」がますます加速し、返品率を押し上げるという悪循環を作ってしまいます』
 その悪循環から抜け出さない限り、「出版流通は破綻するしかない」と、警告を発しておられます。改めて、戒めるべき、教訓かもしれません。

■国際交流
 2004年10月に中国の武漢大学で開かれた出版学会の「第11回国際出版フォーラム」に初めて参加してきた。
 私のテーマは、『絵でみる出版産業』で分析した内容を「日本のおける出版産業の現状と課題」としてリポートしてきた。
 05年9月には、『ニューヨークの書店ガイド』の発行を記念し、ニューヨークの紀伊國屋書店で開かれた前田直子さんの出版記念講演に参加し、、翌日、前田直子さんと大久保徹也さんの案内でマンハッタンの書店ツアーを楽しんできた。
 05年11月には、上海理工大学で開かれた「印刷技術と出版教育国際フォーラム」で。「日本におけるデジタルコンテンツの現状と課題」をリポートしてきた。
 06年6月には、『韓国の出版事情』の発行を記念して、ソウルブックフェアに参加し、坡州(パジュ)の出版団地や取次のブックセンを訪れ、ソウル市内の書店ツアーを楽しんだ。
 また、韓国出版人会議の編集者20人の参加を得て、「日本の出版産業の現状と課題」を文ヨンジュさんの通訳で1時間半にわたりリポートし、交流を深めてきた。
 06年10月には、東京経済大学のマスコミニケーション学部の十周年記念シンポジウムとして行われた「第12回国際出版フォーラム=コミュニケーションとしての出版―東アジアの出版と文化」に参加し、04年に武漢で顔なじみになった中国編輯学会と韓国出版学会の代表団と再会した。
 その席上で、中国編輯学会主催の河南大学20周年記念国際学術フォーラム「デジタルメディア時代の編輯出版学学科建設」に招かれることになり、11月に、急遽、訪中し、「デジタルコンテンツと本の未来」についてリポートしてきた。お礼にと、「河南大学新聞伝播学院兼職教授」なる称号をいただいて帰ってきた。単なる名誉職的な称号ではあるが、面映い感じである。名に恥じぬよう日中間の交流の礎を築きたい。
 国際交流もまた、「夢の一つ」である。言葉の壁を越え、出版学を学ぶということで、東アジアの出版人が手を取り合っている。その成果は小さな歩みかもしれないが、確実に「本の未来」へと続いているといえる。

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 ともあれ、「本の未来を考える旅」はまだ、3年半の航海を終えたばかりである。72歳まであと7年、目標の50点には、まだ30点もある。
 「本の未来を考える旅」は果てしなく、また、おもしろい!
 その「おもしろさ!」をもう少し、味わいながら、新しい「本の発見」の旅を続けることにしたい!


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© Shimomura Teruo